あたりまえのことばかり

f:id:y-ishihara:20080829023214j:image

池田晶子さんの「あたりまえのことばかり」から気になった部分を備忘。

【その1】


(哲学とは)「1、生死」「2、宇宙」「3、善悪」この順序である。

「死ぬということはどういうことなのだろう」

「宇宙の果てはどうなっているのだろう」

「なぜ人を殺してはいけないのだろう」

これらの答えを、私は知らない。「知る」ということは、最後は「知らない」ということを知ることである限り…(p.18)

考え始めると、答えに窮してしまいます。死は想像に過ぎないし、宇宙も仮説、善悪は相対的ということになりそうです。彼女によればわかる人はわかり、わからない人はわからないということらしい…

【その2】


その歳まで、いったい何をしてきたのかと訝りたくなるような老人は多い。おそらく、何もしてこなかった。摂食、生殖、快楽の追及以外は何もしてこなかった。刺激に反応し、反応したら忘れるといった動物的生存の日々、そのような人は、したがって老いることを拒む。動物的生存に生の価値がある限り、肉体の衰えとは価値の喪失以外ではないからである。老いた自分に価値が認められない。「老醜」とは正確には自虐的に使われるのだろう…(p.216)

これは痛い! 私もあなたも、ほとんどの人がそうかもしれません。彼女がもう少し長く生きていたら優しく言い換えてくれたでしょう。押井監督に言わせれば、その老人は人間とはいえない、犬だということです。