ケータイ

ケータイの思い出。

1994年に携帯電話を所持しました、早いほうだと思います。とても私個人の経済力では無理で、会社の契約でした。自動車電話がその前に話題になっており、弁当箱のような大きさでしたが、そのあと随分小さくなったので、会社に必要性を訴えて、というより勝手に契約しました。セルラーの契約金が10万円程度で、月の使用料が2~3万円でした。最新の折りたたみ携帯で、当時では最小・最軽量のモデルでした。セルラー日産自動車の資本で、メインの企画者は私の知り合いのS氏でした。会社が売却されるときに一枚の挨拶葉書をくれました。淡々と敗北の弁を述べていました。その携帯電話は、今使っているケータイの5倍くらいの質量感がありました。交差点でわざと電話して、かっこつけてました、恥ずかしい記憶です。

当時、売り込みにきていた二人は商売の直感のよい人たちでした。彼らは直感はよかったのです、しかし波には乗れず、ただの小遣い稼ぎに終わりました。その後、ヒカリ通信などが代理店商売で大成功したのも昔日のことです。

そのまた以前、甲府に住んでいたとき、アマチュア無線の免許をとりました。当時のコードはJE1WFWで「CQ、CQ、こちらジュリエット エコー ワン ウィスキー フォックス ウィスキー …」とやってました。400Gと800Gヘルツ帯で通信していました。当時「ラジオライフ」というマニア雑誌を購読しており、そのなかに不法電話の記事が繰り返し掲載、技術的には80年代にアマチュアでも可能でした。移動体で、有線電話のように話せるのは非常に便利だ、なぜ法律は許さないのか、そのように考えていました。ニーズは高いと感じましたが、これを商売にしようとは夢発想しませんでした。イノベーターではないのを認めます。

着想だけで成功せず、着手して成否定かならず、成功して長続きせず、誠に事業というのは難しい、ひとりのモーツアルトの陰に100人のモーツアルトがいるのではないか。栄華盛衰、計り難しと思います。