父方の祖父が書いた文章に「運は運ぶと書く待っていては運はこない」というのがありました。祖父は造船業で成功し、伊豆半島ではじめての上水を寄付した人です。

今日は運について考えます。「ついている人は一生涯ついている、運の悪い人は運のいい人のそばにいて運を分けて貰うしかない」というのが只今の結論です。運命論者でもないし決定論者でもありませんけれど、何か大きなものに動かされているような気がしてなりません。上手く行かなくて悔しがっていた案件が、実は上手く行ってそのまま続けていたら破滅してしまっただろうということが何度もありました。勿論、祖父がいう通り努力はするのです。しかし最後の一またぎは運のような気がします。日本海海戦の東郷元帥任命の理由は「博打が強いから」という逸話もあります。「塞翁が馬、禍福は糾える縄の如し」運命の糸は偶然の積み重ねにすぎないのか、あるいは論理的帰結なのか、これからの生活のなかで見極めていきたいと思います。

祖父は「憂きことのなおこの上につもれかし 限りある身の ちから ためさん」(熊沢蕃山の歌)が好きだったようです。これはあまりにも過激で、なかなか言えないですね。気合いはいいけど「我に七難八苦を与えたまえ」山中鹿之助の言葉が現実になったら困ります。