未熟者

高校生の頃、「自分の意見」について悩みました。自分の意見は何もなくて、読んだ本とか聞いた話の借りものにすぎないのではないかと考えました。プラトンを読めば「正義」が大切だと思うし、太宰を読めば自意識過剰になるといった具合でした。18才のとき、キルケゴールの「現代の批判」を読み、解決不能を悟りました。今も解決していません。大概の本は「私はこう考える」という主張がはっきりしているのですが、珍しく答えが書いてありませんでした。例えば「現代は9月1日の試験に備えて、8月31日まで身体を休めておこうと寝そべっている時代だ」と書いてありました。だからどうとは書いてありませんでした。万事その羅列でした。それで自分はどうしたらいいのか、どう考えたらいいのか? 答えが出ない、自分がないことに気づきました。これについて未だに結着していません。人間の評価についても悩んでいます。他人にレッテルを貼り断罪しているのではないか。「彼の言っていることだから正しい」とか「もっともらしい意見だが、彼の言うことだから正しくない」とか、評判や他人の人物評価に大きく影響を受けているのではないか。自分に振り返ると自己評価は正しくなくて他人の評価の方が正しいという結論になってしまいます。この歳になってまだこんなことを考えているというのは本当に恥ずかしく思います。さらに言えば「考え」と「行動」のギャップについても結論がでません。カントは「しなければならないことは可能である」と純粋理性批判で述べています。ということは「できないことは目標にならない」ということで「考え」が「行動」に直結しないのは「考え」が間違っているのか、意志の問題なのか、方法論の問題なのか、これについてもまとまりません。アンドレモロアは「はじめに行動があった」で「何人(なんぴと)も行動することなしに意欲できない」と言ってます。「行動」が先で「考え」が後なのかもしれません。こんなことをしているうちに寿命が尽きてしまいます。何を言っているのかわからなくなってきました。オシマイ。