降りることができなかった

中学生の頃、フォークルの「キツネ」を聞いて、父ちゃんは大変だと思いました。獲物の少ない冬に、命からがらようやくガチョウを捕まえて、家族に食わせる話でした。子供は呑気に「明日も美味しいガチョウをお願いね♪」と。

結婚して、子供ができて、そこから先は「降りる」ことはできませんでした。「稼ぐ」ことが自分の役割であり、家族に対する責任だと割り切りました。父も母もそのようにして私を育ててくれました。「今は仮の姿」だと自分をなぐさめながら15年、我慢していたら他人が話しかけてくるようになり、さらに15年したら、相談に来る人もチラホラ。勿論、不遇のときは腐ってました。そういうときはいつも「キツネ」をくちずさんでいました。「…獲物の少ないこの冬は、ホントにどうしよう♪」

若い人から、いろいろ相談を受けて感じるのは「自信がないのにプライドが高い人が多い」「環境や病気や他人のせいにしている人が多い」「やりたいことがわかっていない」などなど。生きている間は、不安で苦しいのはあたりまえだし、覇気と覚悟があれば何でも思い通りになるのに、もったいないなあ… ちなみに「決弾」(子飼弾著)「やりたいことがわからない」の答えは、「疲れるまで何かにハマリ、そして不安になりましょう…3日間何かをやり続けろ」でした。

決弾 最適解を見つける思考の技術

決弾 最適解を見つける思考の技術