ヒトはどうして死ぬのか

「ヒトはどうして死ぬのか」(田沼靖一著 幻冬舎新書)を読みました。橋本大也さんのブックレビューをみて購入しました。良書です。半年ほど前にNHKで著者自らが解説した番組を見ました。「アポトーシスとは細胞の自死であり、DNAに組み込まれている。細胞の再生の回数は限られており、その回数を超えると個体も死ぬ。ヒトでいえば50〜60回の回数券を使い切ったときに死を迎える。一方、脳細胞などは、再生不能でアホピオーシス(細胞自体の寿命)で死を迎える。定期券が期限切れになるように」とのことでした。仏陀が死は避けられないことを教えたように、科学的にも死は避けられないことを証明できることに驚きました。生物は死ぬことによって悪い遺伝子を消滅させ、種の保存を図るのであり、「死」がなければ、環境変化に耐えられず種全体が滅びてしまうそうです。

本書では「アポトーシス」の観点から、難病を治療するアプローチを示しています。「癌、アルツハイマーエイズ、糖尿病」に対するゲノム創薬の可能性です。

後半、テレビではほとんど触れられていなかった「死」の意味についての考察があり、大いに考えさせられました。「死がなかったら生は空虚なものになる」「未来に訪れる死をイメージし、自分を見つめ直すことによって、よりよく生きることができる」(P.172)手塚治虫が「火の鳥」で訴え続けたテーマです。氏は神武天皇に「永遠の生命なんていらない!」と言わせました。また押井守攻殻機動隊」の死の思想のルーツもわかりました。全く同感します。社会も地球も宇宙もその視点で再考できるかもしれません。備忘します。


その構造情報をもとに、タンパク質にうまく結合して、その働きを阻害する化合物が設計できれば、医薬品開発は確率論的化合物探しから解放されて、決定論的に新薬を創出できる−これがゲノム創薬の基本的な考え方です。(p.119)

生命進化の歴史を見ていくと、「死」という現象が現れるのはまさにこのときです。つまり、二倍体生物が誕生して「性」が現れたとき、同時に「死」が生まれた…(p.140)

…ランダムな遺伝子の組み換えによって新しい遺伝子蘇生を持った受精卵は、必ずしもすべてが望ましいものであるとは限りません。もしそれが種の保存という観点から”不良品”であるとわかった場合は個体となる前に排除する必要が生じます。”不良品”をスムーズに排除する仕組み−それを獲得するために遺伝子にプログラムされたのが「アポトーシスを起こす力」と考えられるのです。(p.143)

老化した遺伝子が生き続けて若い個体と交配し、古い遺伝子が組み合わされれば、世代を重ねる毎に遺伝子の変異が引き継がれて、さらに蓄積していくことになるでしょう。もしこのようなことが繰り返されると、種が絶滅して、遺伝子自身が存続できなくなる可能性もあります。(p.145)

アポトーシスとアポピオーシスという「死」が二重に組み込まれていることで、確実に固体が死に、古い遺伝子をまるごと消去できる−この二重の死の機構が、次世代…へと続く生命の連続性を担保しているのでしょう。(p.146)

「性」による「生」の連続性を担保するためには「死」が必要であり、生物は「性」とともに「死」という自己消去機能を獲得したからこそ、遺伝子を更新し、反映できるようになったのです。(p.147)

…クローンを人間の品種改良や不老不死に結びつけて議論するのは、全く意味がない…(p.158)

…現代において真に求められているのは、不老不死を実現する技術などではなく、科学から死の意味を問い直して「有限の時間を生きる意味」を知ることではないかと思っています。(p.168)

ヒトはどうして死ぬのか―死の遺伝子の謎 (幻冬舎新書)

ヒトはどうして死ぬのか―死の遺伝子の謎 (幻冬舎新書)