もう牛を食べても安心か

「もう牛を食べても安心か」(福岡伸一著 文春新書館)を読みました。六年前の本で狂牛病が皆の記憶に新しいときに出版されました。狂牛病のことを説明した本でもありますが、「生命」そのものを解説した本です。正直、衝撃を受けました。今年読んだ本では最も優れた内容です。私の中の常識をもののみごとに覆してくれました。実に心地よく… また自死した若き天才シェーンハイマー博士の事績を初めて知りました。今後、遺伝子組換え食物や臓器移植に反対の立場をとることにします。備忘します。


もう牛を食べても安心か (文春新書)

もう牛を食べても安心か (文春新書)


…つまり、生命は全く比喩ではなく、「流れ」の中にある。個体は感覚としては外界と隔てられた実体として存在するように思えるが、ミクロのレベルではたまたまそこに密度が高まっている分子のゆるい「淀み」でしかない。その流れ自体が「生きている」ということである。(p.14)

よく私たちは、「ご無沙汰しておりましたが、全然おかわりございませんね」などと挨拶をかわすが、数ヶ月も会わずにいれば、分子レベルでは我々はすっかり入れ替わっていて、もとの実態は無くなっているのだ。(p.61)

食に関する伝統的な言い伝えを調べてみると、しばしば”できるだけ遠いところのものを食べよ”という教えを見つけることができる。…消化システムは万全を期してるとはいえ、その関門をリークしてやってくる「負の情報」が存在するからである。…逆の言い方で示したものが、カンニバリズムのタブーであると言える。(p.101)

炭素でも酸素でも窒素でも地球上に存在する各元素の和は大まかにいって一定であり、それが一定の速度で流れていく中で創られる緩い”結び目”がそれぞれの生命体である。流れはめぐりめぐってまた私たちに戻ってくる。(p.238)