三陸海岸大津波

三陸海岸津波」(吉村昭著 文春文庫)を読みました。3.11の東北大震災のあと、完読した最初の書物です。今日まで、とても読書をする気分になりませんでした。
本書の内容は三陸海岸の明治、昭和の地震の記録(ドキュメンタリー)です。繰り返される悲劇と何度でも立ち上がる住民に憐憫と共感を感じました。津波を方言で「ヨダ」と言うそうです。「ヨダ」の恐ろしさがよくわかりました。気を抜く人は死ぬ、運のない人は死ぬ、冷厳な事実でした。田老町の巨大な堤防を信じたい著者の気持ちがよくわかりました。結果はご存じの通りです。備忘します。

三陸海岸大津波 (文春文庫)

三陸海岸大津波 (文春文庫)

目次概略

  1. 明治29年の津波
  2. 昭和8年の津波
  3. チリ地震津波

…ことに釜石町は、人口6,557名中、5,000名が死体となった。(p.28)
…助かった者の中には、奇妙な体験をした者が多いが、…某女は、入浴中であったので、風呂桶に入ったまま檄浪とともに700メートルほど奥の谷間に運ばれた。そこで桶は倒れたが、海水も干いたので無傷のまま助け出された。(p.40)
田老町)…沖合からの異様な音響をいぶかしんで海をみると、海水がすざまじい勢いで干き、700メートル近くも海底が露出するのをみた。その直後40メートルほどの高さの黒い波濤が海岸に突出してきた。(p.45)
また野犬と化した犬が、飢えにかられて夜昼となく死体を食い荒らしてまわった。(p.52)
…1958年7月にアラスカのリツヤ湾を襲った津波は史上最高のもので、500メートルの高さまで達したという。(p.58)
(昭和8年の津波釜石市 地震後十数分にして、320メートルの長さの桟橋の先端まで潮が干いた。(p.91)
…古老たちは、「こういう晴天には、津波は来ないものだ」とさも自信ありそうに言っていた。(p.104)
「お前達はよく助かったなあ」と言って父は涙をためていた。父は、せなかから餅をたくさん出してくれた。食べながら津波の話を父に教えた。父はなみだをためてきいていた。(p.129)
昭和35年チリ地震津波)…陸地でも潮の異常を眼にしたひとは多かった。が、かれらは、単なる高潮程度と判断し恐るべき津波とは想像もしなかった。その理由は、簡単である。地震がなかったからである。(p.158)
死者数を比較してみても
明治29年の大津波    26,360名
昭和8年の大津波     2,995名
昭和35年チリ地震津波  105名 (p.171)