すぐわかる日本の宗教

「すぐわかる日本の宗教」をノートを取りながら読みました。短い本ですが大変勉強になりました。忘れていたこと、知らなかったこと、満載の本でした。特に、行基空也、一遍の行った社会事業の共通性について調べてみたいと強く思いました。「我が国では、政教分離の建前から宗教や宗教に関する情操教育が不足しており、現在の教育現場荒廃の原因ともなっている。そのため我が国の宗教の伝統についての知識をそなえ、絆と連帯を深めるべきである。日本人は無宗教ではない、墓地や遺骨に関心は強いのであるから…」と冒頭に出版の意図を延べています。ウヨク本ではありません。備忘します。

…日本の宗教では、卑弥呼のような巫女が神霊や死霊を宿らせて、その言葉を語り伝える宗教伝統を今日に至るまで培っているのである。(p.33)
本居宣長は「古事記伝」のなかで、天地の神々をはじめとして、鳥獣木草や海山など、尋常ではない、善であれ、悪であれ、奇怪であれ、畏れ多いすぐれた力のあるものを神という、古代人の神観念を明らかにしている。(p.35)
平安時代に350年間に平和が…実現されたの…は国家と宗教の相性がよかったからだと思う。(p.39)
644年、駿河国…で大生部多というものが「常世の神」宗教をはやらせた。…民衆は仕事を放棄し、家財や家畜を路上に投げだして、酒を飲み、歌い踊り狂い、都まで押しかけるほどの勢いをもった。(p.45)
大いなる祟りをなす怨霊は、大いなる御利益をもたらす御霊となるのである。…祇園祭や大神祭という、疫病退散を祈願する都市の夏祭りを生み出していくことになる。(p.59)
空也は、ある人に念仏はどのように申すべきかと問われて、「捨ててこそ」とだけ応えて、他に何も言わなかった。(p.67)
源信は)往生院で同志たちは瀕死の者を取り囲んで…極楽往生のためのターミナル・ケアを創始したのである。(p.69)
権勢を極めた藤原道長は、病気が重くなったとき…ただ念仏の声を聞くだけでよいと祈祷を断った。延命よりも、浄土往生を願ったのである(p.70)
不動明王は…菩薩などの温和な姿では教化しがたい人間を救うために大日如来が身を変えて現れたとされる。(p.89)
…檀家制度と、鎮守の森信仰を中心とする神祭りのネットワークづくりである。前者は、…先祖と墓と骨を守る宗教である。…後者は、氏神の祭りを通じて村の秩序と安寧をめざす神道の考えに基づくものだった。(p.92)
…先祖崇拝は日本宗教の精髄であり本質であったということができるであろう。(p.93)
稲荷は田の神信仰に由来し、霊獣の狐が田の神、またはその使いとされて、農業神となった。(p.108)

宗教的な講のなかで、特異的な発展をみたのが、富士山を登り参拝する富士(浅間)講である。(p.113)
幕府倒壊の前夜、慶応3年(1867年)の8月から翌年の4月にかけて、突如として「ええじゃないか」などと唱えながら、踊り練り歩く騒動が勃発した。(p.115)