暴言で読む日本史

「暴言で読む日本史」を読みました。案外、楽しい読みものでした。知っていることがほとんどでしたが、著者の解釈に感心した部分がいくつかありました。ヤマトタケルの「既にねぎつ」という暴言で父から遠ざけられ、野垂れ死にに至りました。天才というか怪人というか、後醍醐天皇の「朕の新儀は未来の先例たるべし」は負け惜しみや、自信過剰から出た言葉ではないという解釈は正しいかも知れません。「花美かえって手下の助けとなる」、吉宗の時代の尾張藩主、徳川宗春の暴言とか。晩年は不遇であったというが、本人感覚はそうでもなかったような気がします。この人に関しては全く知りませんでしたが、魅力的な人物です。マッカーサーの「日本人はまだ12歳の少年」の暴言は、「だから戦争の罪を軽くしてやろう」という意図の発言とは知りませんでした。備忘します。

花美とは華美と同じ、派手なこと、の意味である。花美がかえって手下の助けとなる、とは徳川宗春以外には思いつかない経済論である。上の者が金を使うから、下の者にもまわっていく。江戸城の金蔵の中に100万両を蓄めこんでいても、それだけでは庶民は苦しんでるだけではないか…将軍に対して、ひたすら倹約だけ言っているのは愚かなり、と言い返しているのだから、よくぞここまで言ったもんだ、と驚くばかりである。…「花美かえって手下の助けとなる」この言葉はある部分ではまったく正しくて、次代を大きく先取りした天才の論である。(p.164)