平穏死という選択

「平穏死という選択」を読みました。特別擁護老人ホームの老担当医、石飛幸三氏の著作です。生き死に触れる人の意見は自然と哲学に近くなります。上質な処世訓を呼んでいる気分になりました。ぼけて、食べられなくなったら、胃ろうはやめて、逝かせてほしいと妻に頼んでおきます。天国は近い… 備忘します。

「平穏死」という選択 (幻冬舎ルネッサンス新書 い-5-1)

「平穏死」という選択 (幻冬舎ルネッサンス新書 い-5-1)

…アンケートによれば、自分に寿命がきてもう先がないとわかったら、胃ろうのような延命治療を受けて生きながらえるようなことはしたくない、と圧倒的多数の人が考えています。それなのに、例えば認知しようの高齢者が誤嚥性肺炎を起こすと、判で押したように胃ろうを勧められます。もはや口から食べられない状態だと判断され、認知症高齢者の場合、約7割の方に胃ろうがつけられています。自然な天命を待つのではなく、人工的に栄養を摂取させられて、生かされるのです。こんな国は世界でもわが国だけです。…どうしてこのようなことになってしまったのでしょうか。これには理由があるのです。延命治療は進歩しました。しかし世の中のルールを決めている法律は、延命治療がなかった時代のままです。命を伸ばす方法があるのであれば、それをしないと作為の殺人になる。医師はそれを恐れているのです。老衰の末期であっても延命治療を施さなければ、医療がするべきことをしていないとして断罪されるというような状況が、こうして生まれました。(p.19)
どんなに元気なお年寄りも必ず衰えてきます。そして最後は必ず自分の口で食べることが難しくなります。いずれその日が訪れます。その時になってから慌てないように、本人が、親が、連れ合いが元気な時に、自分の最後の姿をどのように考えていたか、もしそうなったら本人はどうしてほしいか、家族であらかじめ考えておきましょう、というのが私の趣旨でした。(p.66)
老衰の状態になる老人達が何を望んでいるのか。今の私にはよくわかります。穏やかにその日その日を過ごし、苦しまずに最後の時を迎えられればいい、みんなそれが一番いいと思っているのです。(p. 104)
本当に自分のことが見えるのは、成功体験ではなくむしろ逆境の中です。われわれは苦しみを通して自分を知り、心の柔軟性を得るのです。不幸な体験を通して人に優しくなれるのです。生きる意味は誰かが教えてくれるものではない、山坂超えて生きることをとおして自分でつかむものだと思います。芦花ホームで常勤の医師が強い倒れて後任が見つからずに困っているという話を聞いたのはその時でした。人間としてどう生きるか、医療で人を治すいうことを深く考え直すようになっていた私は、老いの終焉の現場に行けば人生という物語の最終章が見えるかもしれない。高齢者に対する延命治療の展開が分かるかもしれないと思い、名乗りを上げたのです。(p.177)
医師であればいちどは読むハリソン内科教科書には、死を迎える人は、命を終えようとしているのだから食べないのだ。食べないから死ぬのではない。このことを理解することで家族が介護する人は悩みを和らげられる、とあります。そもそも老衰末期にはもう食べ物を受け付けなくなっています。なのになぜわれわれは入所者に、もっと頑張って食べてと無理強いする様に栄養や水分を与えようとするのでしょうか。(p.186)
日ごろから死を意識しない生き方をしていると、その場限りの生き方に流れてしまいます。しかしそれではいずれ来る最後にさしかかったとき、どうして良いか分からなくなります。それに比べて、必ず来る最後を普段から考えてる人は、生きるとはどういうことか、最後をどう締めくくるべきかの覚悟ができています。それは究極のところ、幸せとは何かについて考えているかどうかということです。 (p.221)
恵まれないものどうするのか、生まれながら障害を持って背負っているものどうするのか、一面的な条件だけで判断すれば人生なんて所詮不公平なもの、そもそも人生なんて一寸先は闇です。いつ何が起こるかわからない。人生全て塞翁が馬。自分の一生を意味あるものにするかどうかは、人生の途上で次々に起こる起こる出来事をどう乗り越えていくか、人生が出すその時その時の問いにどう自分が答えるか、我々の一生はその問いに対する自分の答えでありましょう。(p.222)
今最も求められて求められるのは、市民の結束による地域連携、そこに働く者の直感力と少しでもそれに貢献しようとする人としての"徳"ではないかと思います。東日本大震災後に見られた多くの日本人が持っている徳、私はそこに我々が今まで忘れていた大切な物を見た気がしました。戦前は公徳心というのは社会に生きていく上でも当然の心であり、最低限のルールでした。しかし戦後この言葉は政府による強制力の代名詞でもあるかのようなアレルギー反応を呼び、日本人の美徳が失われていったように思います。(p.234)
戦後はそれがすっかり変わってしまいました。今や何処へ行っても聞こえてくるのは勝ち組、負け組の二重奏。二言目には政府の責任だ、どうしてくれる、と全て他人のせいなのです。自分は何処へ行ってしまったのでしょう。(p.241)
親の年金を当てにする子供がいます。子供といってもそれは立派な大人です。もう寿命が来ているのに、医療皆保険、自己負担は極めて低い、延命治療法があるならそれをしない手はない、医療保険で税金を使いながら無理やり親を生かして、その上年金もいただく。これこそ税金の二重取りです。(p.242)
高齢者は8割が病院でなくなっています。今、日本の医療保険は、人生の最後の2ヶ月間で半分が使われているそうです。…我々高齢者はその時が来たら、もうこの辺でと腹を決めて、膜を引くべきです。(p.243)
死は怖いものだという思い込みとらわれてはいけません。老衰の終末期、自然な最後は、一生懸命生きてきた者にとっては神様が与えてくれる永遠の休息ともいえます。その最後の姿は、寄り添って介護したものに敬虔な祈りの気持ちをもたらします。人生の終着点である死は、怖いものではない。それは本来、静かで平穏なものなのです(p.245)