死にざまこそ人生

「死にざまこそ人生」を読みました。本のほとんどは一読して他人に差し上げています。でも、この本は手元に残しておかなければいけないと思いました。著者は長年ホスピスに携わった精神科医で2500人を看取ったそうです。たくさんの人の実例を教えてもらいました。
私、近頃、死者を身近に見ていません。死の予行演習を十分にしておかないと「最後の凋落」で周囲の人をさらに苦しめることになるかもしれません。天国は(地獄は)近いと思いながら生きることが大切だと知りました。「強い痛みはその人を現実に閉じ込める」(p.168)そうです。現代のペインクリニックの発達に感謝する日が訪れるかもしれません。備忘します。

「いらだち」が死の受け入れにくさを示すのであれば、50歳代がもっとも死を受け入れるのが難しいということになる。…50歳代ではまだ仕事の第一線におり、子供たちも独立していないという状況が関係しているのであろう。(p.25)
…昨年、末の娘が結婚して家を出て、夫婦二人きりになりました。ホッとして、温泉にでも行きたいね、と話し合っていた矢先にガンで倒れました…矢先症候群の例である。矢先症候群はわれわれが「死を背負って生きている」何よりの証拠である。(p.48)
…先生に、もっと弱音を吐きたかったのに、先生が励まされたので、二の句が告げずに、だまってしまいました。そして、その後、とてもやるせない思いが残りました。(p.54)
千の風になって)は風の中に、また雪や雨のなかに、そして鳥谷花々のなかに、いつも私(死者)はいる。そう断言するこの歌のメッセージは、文字通り、”アニミズム”そのものである。(p.122)
「お守りを医者にもつけたい手術前」「見舞客身の上話して帰り」「寝てみれば看護師さんは皆美人」(p.130)
…「最後の跳躍」と名付けた。不平不満に満ちた人生を歩んできた人が最後に感謝という跳躍をしたのである。(p.165)
毎日、強い痛みがあると、患者は痛みと闘うだけでその日が暮れてしまう。本を読む気にもなれないし…家族と落ち着いて話すこともできない。…昔のことに思いをはせることもできないし…痛みは患者を現在に閉じ込めてしまうのである。(p.168)
…予期悲嘆のプロセスにおいて、十分に悲しんでおけば、死別後の立ち直りが早いということである。(p.173)