生物と無生物のあいだ

「生物と無生物のあいだ」を読みました。「もう牛を食べてもいいか」の福岡伸一さんの本です。食べるという行為が分子交換であることを再度教えていただきました。福岡先生のおかげで、大げさに言えば、世界の見方が変わりました。ここには書きませんが、健康食品にたいする考え方も全く変わりました。備忘します。

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

恐ろしく速い速度で、多数のアミノ酸が一からう紬ぎ合わされて新たにタンパク質が積み上げられていることである。さらに重要なことがある。ネズミの体重が増加していないということは、新たに造り出されたタンパク質と同じ量のタンパク質が恐ろしく速い速度で、バラバラのアミノ酸に分解され、そして体外に捨て去られているということを意味する。つまりネズミを構成していた身体のタンパク質が、たった3日間のうちに、食事由来のアミノ酸の約半数によってがらりと置き換えられるということである。…つまり砂の城はその形を変えず、その中を珊瑚の砂粒が通り過ぎていくのと全く同じことがここでは行われているのだ。(P.160)
生命とは何か? それは自己複製するシステムである。 DNAと言う自己複製分子の発見を基に私たちは生命をそのように定義した。…自己複製が生命を定義づける鍵概念である事は確かではあるが、私たちの生命観には別の支えがある。鮮やかな貝殻の意匠には秩序の美があり、その秩序は、絶え間のない流れによってもたらされた動的なものであることに、たとえそれを言葉にできなかったとしても気づいていたのである。…秩序は守られるために絶え間なく壊されなければならない。…生命とは動的平衡にある流れである…(p.167)
少年の心はずっとはやっていた。待ちきれなくなった私は、卵に微小な穴を開けて内部を見てみようと決意した。もし内部が生きていたらそっと殻を閉じればいい。私は準備した針とピンセットを使って注意深く、殻を小さく四角形に切り取ってのぞき穴を作った。するととどうだろう。なかには卵黄をおなかに抱いた小さなトカゲの赤ちゃんが、不釣り合いに大きな頭を丸めるように静かに眠っていた。次の瞬間、私は見てはいけないものを見たような気がして、すぐに蓋を閉じようとした。間もなく私は自分が行ってしまったことが取り返しのつかないことを悟った。殻を接着剤で閉じる事は出来ても、そこに息づいていたものを元通りすることはできないということを。一旦外気に触れたトカゲの赤ちゃんは徐々に腐り始め、形がとけていった。この体験は長い間、苦い思いとともに私の内部に澱となって残った。まぎれもなくこれは私にとってのセンスオブワンダーであったのだ。それはこうして生物学者になった今でもどこかに宿っている諦観のようなものかもしれない。(p.284)