世界をこんなふうに見てごらん

「世界をこんなふうに見てごらん」を読みました。こころ温まるエッセイです。動物行動学者の考え方を肩肘はらず、豊かな事例と偏らない論理で諄々と説いています。名著です。驚いたことに著者の日高敏隆さんの訳書を何冊も読んでいました、昔々「裸のサル」に感動した記憶があります。実にユニークなものの見方をする方です。身体が弱かったことや、興味の先が常人ではないことなど、戦前ではとても生きづらかっただろうと想像できます。不安いっぱいの若者だけではなく、常識にまみれている大人にも一読をお勧めします。備忘します。

世界を、こんなふうに見てごらん

世界を、こんなふうに見てごらん

人間は理屈に従ってものを考えるので理屈が通ると実証されなくとも信じてしまう。実は人間の信じてるものの大部分はそういうことではないだろうか。いつも僕が思っていたのは科学的にものを見るということもそういう類のことで、そう信じているから、そう思うだけのではないのかということだ。本来いない動物の話を、あたかもいるように理屈っぽく考えて示すと、人はそれにだまされる。 (43ページ)
日本では戦前は色々なものが最初から決まっておりますという話が主流だった。それが戦後、いや、そうではないのであって、という方向に変わった。ちょうど進化論が脚光をあびてきたことで、そういう新しい議論もすっと受け入れられた。一般の人の考え方も、神様が決めたのだと言われるとそう思ってしまうような時代から、いや、そうではない、我々人間の勉強が足りないんだと思うような時代に変わった。 (55ページ)
それぞれの動物は他の動物からズルズル進化したとは、僕には見えない。進化はジャンプしておこうということがどういうことか、ずっと考えている。…だから何でも思い込むなと繰り返し言う。(63ページ)
彼は熱帯とそこに住む生き物の消失を食い止めるには人間がそのすべてを「庭」として管理することが必要だと主張している。 庭の外の手付かずの自然を認めて放置するか、それともすべての自然にあえて手をつけ、人間の庭とするか。よいと思うかどうかは別にして、人間という動物は、やはりどうも全部を庭にしていく方向しかないのではないかという気がしている。( 75ページ)
昆虫採集にキャッチ&リリースは、あえて必要ないと思っている。つかまえたら殺して、標本にして、よくみることをお勧めする。(97ページ)
いろんな生き物の行方をたくさん勉強するといいと思う。僕はそれでとても面白かったし、そうすることで不思議に広く深く、静かなものの見方ができるようになるだろう。(90 ページ)
その後いろんな仕事が入るようになり、自分がすごく困っていた時に引っ張ってくれた先輩に恩返しをしたいと思うようになったけれども、本人に返すだけならお礼をしたことにならないと思った。だからその方々がそうしたように、また次の若い人、新しい人を引き立てるように心がけている。そのほうが世の中の為になり、本当のお礼になると思うからだ( 97ページ)
人間は人間の他の世界、すなわち人間が作り出した概念的世界に生きている。 人間には、その概念的世界、つまりイリュージョンという色眼鏡を通してしか、まだ見えない。そう考えるとそのイリュージョンの世界を人間自身がどう見ているかということを我々人間はもっと真剣に考えなくてはいけないと思うようになった。( 112ページ)
絶対に吸わない、などというふうに考えない。吸えなければしょうがない、吸えれば吸いましょうという風に思う。この頃は健康大事にして、タバコを吸うか、長生きをとるか、二者択一で考えている人も多いようだが、なぜそこまで真面目に考えるのだろうを思ってしまう。(119ページ)
…介護の問題を見ると例えば直前の出来事しか覚えていない認知症の人が、再び自発的にものを食たり、対話したりといったことができるようになるには、無意識のうちにまず、箸を持ってこれを食べるぞと、とか、この人と挨拶するぞ、という、漠然とした構えが人の中に起こることが必要なように思われると…。構えの立ち上がれば、自分を取り巻くか世界との関わりの中で、いつでも行動は起こりうる。人間は動物プラスアルファの存在といわれるが、むしろシンプルに動物の1つとして取り扱うことで、これまで分からなかったことがもっと明らかになるだろう。( 131ページ)