野口体操からだに貞く

「野口体操からだに貞く」を読みました。とても不思議な本です。からだはあなたの所有物ではないので無理な動きをしてはいけない、昔は、「体操によってからだと対話する」と考えていたが、今は、「神にからだを訊ねることだ(占い)」と悟ったのだそうです。まるで哲学書を読んでいるように感じました。ヨーガに通じるものがあります。著者は、野口三千三氏で戦前から体操に取り組み、戦後、学芸大学の教授をするなど著名な方です。備忘します。★

野口体操からだに貞(き)く

野口体操からだに貞(き)く

「貞」の一字は…もともと、和語の「訊く、聞く、聴く、効く、利く…」は同源のコトバで、原初の「きく」は「貞く」である。したがって、からだの神に貞くことのできるからだが、よく利くからだである」(はしがき)
…最大の遺産・遺跡は、いささかの疑いもなく「からだ」と「コトバ」であると考えている。そこで私の体操の方法は「自分自身の生身のからだの動きを手がかりに、こに生まれる生身の感じ(実感)を唯一のよりどころとし、その生身の感じと結びつき、ながれてくるコトバを探検すること」によって行われる。(p.121)
私の体操にとって、大事な原理を教えてくれた運動に「おへそのまたたき」がある。いわゆる「腹筋運動」と一般に呼ばれている。…からだの重さ(中身)が地球の中心に向かって浸み込んでいくように、すっかりと任せきる。…「おへそ」の部分だけと感じられるくらいの小部分の筋肉だけが、起きるための緊張をする。…その緊張する時間はほんの一瞬だけ。(p.127)
…「頑張って」「歯を食いしばって」「満身の力を込めて」というようなコトバによって示されるように、強い意志をもって緊張・努力の量をできるだけ多くし、それを続ければ、どんなことでもできないことはない。このような考え方、やり方が疑いなく信じられているようだ。このような、力の量によって物事が解決できるのだ、という考え方がどんなに恐ろしい危険なものであるか…(p.130)
「体操とはからだとの対話である」というあり方が、自然の神と意識とが対等であるかのような、意識人間の傲慢さからくる発想であることに気づいた私は、「体操は占である」というあり方で、「人間にとってからだとはなにか」のより深い意味を自然の紙に問い、聴きつづけているのである。(p.244)
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