パンツが見える

「パンツが見える」を読みました。「1932年、日本橋白木屋デパートで火事があり、女性店員8名がなくなりました。女性たちは和服でパンツを履いておらず、下から陰部を覗かれる恥ずかしさのあまり逃げ遅れました。これからはパンツをはこう!」 この話が本当の話かどうか、執拗に検証していきます。結論は、当時の日本女性に恥ずかしいとういう感覚はなく、羞恥心は、1950年代、1960年代に形成されたということです。文化というものはわずかな時間で劇的に変化することを知り驚きました。風俗史のまじめな論文です。備忘します。★

パンツが見える。―羞恥心の現代史 (朝日選書)

パンツが見える。―羞恥心の現代史 (朝日選書)

彼女たちは、陰部の露出がはずかしくて、パンツをはきだしたのではない。はきだしたその後に、より強い羞恥心をいだきだした。陰部をかくすパンツが、それまでにはないはずかしさを学習させたのである。(p.78)
日本の男たちは、モンローの映画で、パンツへの性的な視線を強化された。そして、モンローにそそられたそんな目で、同国人の女をながめた。その視姦的なまなざしに圧迫され、女たちはパンツをかくすようになったのかもしれない。(p.352)
…日本女性はおしとやかになったものだ。かつてはパンツもはかずに、和服で往来を歩いていた。今は、そのパンツを見られるのも、恥ずかしがるようになっている。パンツの形が、上着にうかぶことさえ、いやがるようになったのである。(p.366)