さまよう死生観 宗教の力

「さまよう死生観 宗教の力」を読みました。夜の闇は深く、死の闇は誰も知らない、生に限りがあるからこそ素晴らしいのではないのか、「汝、覚醒せよ!」と呼びかけています。手塚治虫火の鳥」を思い出しました。「すべてが移りかわり、永劫不変でない事実に向き合うとき、あらゆる人間関係、出会い、人とすべての生命との関わりが一層愛しくならないだろうか」なってほしい、と著者は願っています。北海道に今いることを大切にしないといけません…備忘します。★★

さまよう死生観 宗教の力 (文春新書)

さまよう死生観 宗教の力 (文春新書)

…兼好が語る「この世はさだめがないからこそ、人生は限りがあるからこそ、素晴らしいのだ」…「人生に限りがあること」これこそ生死を見据える目でなくてなんであろう。(p.21)
大地を離れた、人と物のめまぐるしい動きのそこに、世界のキーポイントがあるという幻想こそ、現代がかかえる意図した錯覚ではなかろうか。(p.32)
「ちょっぴり食らい、ちょぴり飲み、/さて大いに病気をしたあげく、/やっとこさと、だがとうとう私も死んじまった、/みなも一緒にくたばるがいい(マークテトウイン)こんなユーモアに満ちた、…ちょっと悲しみも含みながら、生と死を明るく笑い飛ばしているような人生観を見失っているのではないだろうか。(p.72)
老子」には…道の根源性と広大無辺の原理が示され、そこには「道が万象に己をあらわして、やがてまた己に帰ってゆく無限循環」の世界が説かれている。(p.87)
…自然に生かされるしかない人間にとって、そこに共生を実現してゆくためのキーワードこそ、アミニズムといえるかもしれない。アミニズムは、基本的に生命存在に対する畏れを含んでいるからである。(p.100)
…現実を勝ち取ろうと意欲するユダヤ教の現世主義と、「コーラン」が示唆する死後の楽園を…信じようとするパレスチナの人々との、生と死への重いに正反対のベクトルが見られないだろうか。(p.105)
キリスト教においては、生はむろんのこと死もまた神の恩寵ということになるだろう。つまり人の一生は神の愛と慈悲による。(p.108)
年たけてまた越ゆべしと思いきや 命なりけり小夜の山中(西行)(p.172)
うらを見せおもてを見せて散るもみじ(良寛)(p.185)