昭和の10大事件

昭和で一番大きな事件は昭和20年の敗戦だと、私は思います。「国民が熱狂する場合は、決して良い結果を招かない。戦争に傾斜していく間も、ものすごい熱狂に包まれていた」悪い結果を国民は指導者のせいにしますが、一般国民も同罪の面があることを忘れてはいけません。振り返って東日本大震災直後の私は熱狂していました。原発について、電力について、支援について、偏っていました。反省しています。正しいかどうかは歴史が証明するという冷厳な事実を覚えておこうと思います。備忘します。

昭和史の10大事件

昭和史の10大事件

(226事件の時)なぜ天皇の目に釣り耳にすぐ入ったかというと、襲われた鈴木貫太郎の奥さん、たかさんからの電話によってです。…たかさんは、…昭和天皇の子供の時の御用係ですから…彼女が天皇に直接、いち早く電話したんです。たかさんにすると、そんな大事件のことを知らせようとしたんじゃなくて、怪我をした鈴木貫太郎宮内庁の医者を頼もうと思って電話をしたと。ページ30
歴史が、のちの鈴木貫太郎首相を生かそうとしてくれたんだなというふうに、私なんかは物語作家ですからね、つい考えちゃうですけど。天がか貫太郎を生かそうと思ったかもしれないね。ページ36
近衛さんは、大政翼賛会ができた瞬間に、大政翼賛会の綱領は、文字通り体制翼賛、臣道実践につき、これ以外の綱領も宣言も不要であると、いったんだ。それを聞いてやっぱりみんな何を言ってるのか、さっぱりわからないじゃないかと。…精神論でしかない。ですから、政党のような綱領はないし。ページ74
(三国同盟の本質は)それも入れて日独伊ソの4国で、うまくいけば軍事同盟まで結ぶ、うまくいかなくても、お互いに協調の条約だけでも結ぶ、というのが本当の狙いなんですよ。この狙いを行っているのは松岡なんです。近衛さんもオーケーと言った。ページ78
あることに対して、国民的な熱狂、人がこぞって熱狂する場合は、決して良い結果を招かない。やっぱり戦争に傾斜していく間も、ものすごい熱狂に包まれていた。ページ112
(憲法第9条は)いい文章ですね。つまり日本は国会で、しかも戦後の女性参政権も加わった新しい選挙法で選ばれた選良たちによって大揉めにも揉めながら、そうやって本当に日本人は、平和を願っている国民なのだということをもっと積極的に表に出そう、という自発的な意志のもとに文章化したんですよ。だから押し付けという言葉はあまり言わないほうがいいと思うのです。戦後日本人の本当の想いというものが、かなりこもっているんですよ。ページ122
自分たちの国は滅びる寸前までいった。もちろん、よその国にも多大な被害を与えた。いろんな真っ黒いもの、恐ろしかったこと、辛かった事、飢え死に寸前になった恐怖、戦わなければならなかった恐怖、人を殺さなければならなかった恐怖、後悔とか罪悪感とか、そういうものが全部まとまって、本田監督と円谷特撮監督の手で、ゴジラという怪獣になったんじゃないか。ページ183
60年安保闘争は歴史的にどのような点で重要だったのでしょうか。いや残念ながら、教訓が何もないんじゃないですか。あえていえば戦後の様々な憤怒を全て吹き飛ばした、いわゆるガス抜き、あるいは戦後日本のお葬式と言えるのかな。葬式をしまして、さぁ新しい日本を作ろうと、そういうことになった。…70年安保はどうですか。さっきも言ったとおりあれは違う一部にはものすごいイデオロギー闘争の面があるが、全体としてはお祭りと言ったら怒られるかもしれないが。ページ205
(東京埼玉連続幼女誘拐殺人事件 宮崎勤事件、以後は)犯罪が内的な想像を現実化するためのものとして発生するようになったし、またそういうふうに発生しているんだよなと社会が解釈するようになった、きっかけだと思うんです。その意味で非常に重要な事件であると思います。ページ218