忘れられた日本人

民族学のキーブックと薦められて読んでみました。有り体の日本人論にはない実証に基づいた内容と考察に満ちています。昭和14年から30年頃までに古老から聞いた話をまとめています。辺境の農民や漁民、ばくろうなどの語りの記録です。特に「土佐源氏」を読み、日本人そして人間の切なさに深く感動しました。名著です。備忘します。

忘れられた日本人 (岩波文庫)

忘れられた日本人 (岩波文庫)

…話の中にも冷却の時間をおいて、反対の意見が出れば出たで、しばらくそのままにしておき、そのうち賛成意見が出ると、またそのままにしておき、それについて皆が考あい、最後に最高責任者に決を取らせるのである。これなら村の中で毎日顔を突き合わせていても気まずい思いをすることは少ないであろう。と同時に寄り合いというものに権威のあったことがよくわかる。ページ21
…女ちゅうもんは気の毒なもんじゃ、女は男の気持ちになっていたわってくれるが、男は女の気持ちになってかわいがるものは、めったにないけんのう。とにかく女だけはいたわってあげなされ、かけた情は は忘れるもんじゃない。ページ157
…そこでこの近所の人は聖徳太子の一夜ボボと言ってずいぶんたくさんの人が出かけた。…そのぞめきの中で男は女の方へ手をかける。女は男の手を握る。好きと思うものに手をかけて、相手がふり払わなければそれで約束はできたことになる。女の子はみんなきれいに着飾っていた。そうして男と手をとると、その辺の山の中に入って、そこで寝た。これは良い子だねをもらうためだと言われていて、そのよ一夜に限られたことであった。ページ244
それは昔話の伝承のあり方にまで及んでおり、…西日本では村全体に関することが多く伝承するのに対し、東日本では家によってそれが伝承されるという注目すべき指摘が見られる。ページ327
…いったい進歩というのはなんだろうか。発展とはなんであろうかということであった。すべてが進歩しているのだろうか。進歩に対する迷信が、退歩しつつあるものも進歩と誤解し、ときにはそれが人間だけではなく生きとし生けるものを絶滅にさえ向かわしつつあるのではないかと思うことがある。進歩の影に退歩しつつあるものを見定めていることこそ、われわれに課されている、最も重要な課題ではないかページ334