徳川制度(上)「司法と施政」〜p.176

「市中、引廻しの上、獄門、磔」遠山の金さん。「獄門」と「磔」は同時にはできないことを知りました。岩波文庫で全3冊、2000ページに及ぶ大作です。明治25年から26年にかけて「朝野新聞」に連載されたものです。江戸時代は古い封建の時代と思いがちですが「制度」を詳細に見ると実に精緻です。法治主義ではなく情治主義だそうです。「司法と施政」の項「評定所」「箱訴」「刑罰」を読みました。死刑にいろいろな種類があり、作法が決まっていたことに驚きました。備忘します。

徳川制度(上) (岩波文庫)

徳川制度(上) (岩波文庫)

「公儀へ対し重き謀計」「主殺」「親殺」「関所破り」右の四罪は、重刑中の重刑にして、人相書を以てお尋ねにあいなるべきものなり。ページ123
…獄門の仕方を説明せん。…まず馬喰丁の牢屋において首をは刎ね、非人をしてこれを洗わしめ、兼ねて用意の俵に入れて、…捨札を押し立てて、検使童心差し添いて刑場に送り…獄門台に乗せ置くなり。…首級は三日二晩これを曝したる上、…取り捨てるなり。ただし捨て札は十日間これを立て置くの例なり。ページ125
主人に手負いに及び候者は、晒の上、磔。主人に斬り掛かり候者、兼巧み候わば、死罪。但し当座の議に候わば遠島。品により重追放。ページ134
徳川時代においては、死刑の四種類に別を立てたり。「斬罪」「切腹」「死罪」「下手人」…斬罪と切腹とは、ともに士人以上の刑にして、死罪と下手人とは平民の刑なり。ページ143