徳川制度 「江戸町奉行所」「因獄の事」 〜p.293

江戸町奉行所」「因獄の事」 の章です。江戸時代というと封建的で時代遅れで明治政府に打ち倒される稚拙な政権だと思っていました。この本を読み進めるうちに瞠目しました。法治国家ではなく情治国家であることは間違いありませんが、案外理にかなっています。例えば、江戸時代、放火は死刑です。でも事情を汲んで実質上の無罪にした大岡裁きの例を知って驚きました。80年後の死刑判決でした。身分の売り買いもできるし融通無碍の部分もあります。それにしても伝馬町の牢屋敷の実情は悲惨そのもので、入れば地獄です。裁判なしの収監はまことに恐ろしいと思いました。備忘します。

徳川制度(上) (岩波文庫)

徳川制度(上) (岩波文庫)

…また遠山左衛門之丞(金四郎)というのは若きとき家を脱し、ところどころを徘徊シタル後、吉原遊廓に住み込み、地回りの親分となりおりたるを、兄某世を去って、家に相続人なかりしかば、金四郎を捜索して、その家督を相続せしめたり。まもなく作事奉行となり、さらに町奉行に栄転したり。金四郎は地回りの親分となりおるほどなれば、総身彫り物を余すところなかりし。立身の後は常に白羽二重を持って両の手及び首を覆い、その彫り物を覆い隠したりとなり。…賊の引き合いにて遠山の白州に呼び出されしとき、奉行仰ぎ見て「おや金さんだよ」といいしとかや。ページ182
溜の由来は、遠島既決囚にして、未だ船送り陸送りの手続きを経ざるもの、刺青の刑を受けていまだ乾かざるもの、もしくは獄舎病にかかるものらを移して拘檻するところを溜という。ページ278