鉄道忌避伝説の謎

この本も、学芸大学駅の古本屋で見つけました。副題は「汽車が来た町、来なかった町」です。確かに子供の頃、「町がさびれた原因は、鉄道敷設に反対した人々がいたからだ」と聞いたことがあります。そんなことも明治時代にはあったのかと信じていました。しかし、この本では、きっぱりと否定しています。皆が信じていることでも疑ってみることが大事だと思い知らされました。備忘します。

鉄道忌避伝説の謎―汽車が来た町、来なかった町 (歴史文化ライブラリー)

鉄道忌避伝説の謎―汽車が来た町、来なかった町 (歴史文化ライブラリー)

私はすでに半世紀にわたって、日本各地における鉄道発達の実態について調査研究をしてきた。そこで明らかにされたことは、各地の地域社会はかなり早い時期から鉄道の有効性を認識し、その導入に積極的に努力してきたという事実であった。そして、巷間伝えられているような、宿場が寂れるとか、沿線の桑が枯れるといった理由の鉄道反対運動は全くと言って良いほど確認できなかった。ページ2
…鉄道のルート計画は、官設鉄道であれ、私設鉄道であれ、鉄道側から見て、技術的、経済的な制約の中で取りうる最良と考えられるものが選択される。そして一旦決定されれば、同一ルート上での駅の位置の変更あっても、ルート全体の大きな変更は起こりにくい。これが原則である。従来の歴史学、地理学の研究者この点についてまったく無理解であり、沿線となる予定の地域社会の住民が反対すれば、鉄道側簡単にルート変更するという幻想抱いているかのようである。鉄道忌避伝説が長期にわたって信じられたことは、この点にも深く関係してると思う。ページ51
…また市街地から2、3キロ離れた地点に駅を設置した事例も数多い。これを住民の鉄道忌避にすぐ結び付けてしまうのは、交通機関の便利さに慣れて長距離はあることをしなくなった後生の人々の感覚でものを考えるようになったからであろうか。ページ61
世界の都市の敵配置を見ると、1つの共通点がある。それは、その駅が初めて開業した時点では町はずれにししてたということである。これは極めて当たり前のことであって、すでに建築物が密集して建てられた市街地に鉄道投資ためには、地価の高い土地を買収し、既存の建物壊してから鉄道の建設にかからなければならない…ページ96
鉄道忌避伝説は、鉄道の建設計画によって、古い既存の交通体系のもとで働いてきた職場や川岸の関係者が、自分たちの生業の基盤が失われることを心配し、将来の不安だと思ったであろう、ということに出発点があろう。おそらく、宿場関係者は、実際に驚き、心配もし、愚痴もこぼしたであろう。鉄道に対する反感をもったかもしれない。鉄道の計画が当時の宿場町や川岸町の大きな話題になったであろうことは十分に想像できる。しかし、このような理由で街をあげての鉄道反対運動を巻き起こし、鉄道や駅を遠くに追いやる結果になったとは、実際にそのような伝説のある街について調べてみても、ほとんど否定的な結果になって、到底事実とは思えないのである。ページ209
…特に指摘しておきたいのは社会科学読本の影響である。良心的な地方地誌が「と言われる」「と伝えられている」などと表現することによって、きちんとした一次資料によらない伝聞である旨を示唆してるのに対し、社会科副読本では、教科書という性格からくるのであろうか、全て断定的に記述する。教える教師もそれを固く信じていて、効果的にこれを生徒に教え込もうとする。かくて数多くの地域において鉄道忌避説はすべての児童生徒の頭脳の中に刻み込まれることになるのである。ページ212