死はこわくない

立花隆氏の死に対するスタンスを誤解していました。どちらかというと「人は死ねばゴミになる」に近いと知って驚きました。「死ぬというのは夢の世界に入っていくのに近い体験なのだから、いい夢を見ようという気持ちで死んでいくことができる」立花氏の「臨死体験」も読まずに、スピリチュアルな死後の世界を語っていると思い込んでいました。反省、備忘します。

死はこわくない

死はこわくない

被験者に嘘の写真を何日もかけて繰り返し見せた上で、それが過去に実際あったこととして繰り返し話をしていくうちに、被験者もそれが実際にあったことと思い込み、フォールスメモリーを現実にあったとことと思い込んで、自分からそれを現実体験の記憶として語りだす場面はショックでした。ページ43
この理論によると、クモの巣のように複雑なネットワークを持つシステムならどんなものにも意識が宿ります。生物だけでなく、ロボット、インターネットなど無生物でも意識を持ち得るというのです。この理論は現在検証が進められていますが、もしこれが正しいと証明されれば、人が死ねば脳のネットワークのつながりが消え、心も消えることになります。ページ45
エピクロスは人生の最大の目的とは、アタラクシア=心の平安を得ることだと言いました。人間の心の平安を乱す最大の要因は、自分の死についての想念です。しかし、今は心の平安を持って自分の死を考えられるようになりました。結局、死ぬというのは夢の世界に入っていくのに近い体験なのだから、いい夢を見ようという気持ちで人間は死んでいくことができるんじゃないか。そういう気持ちになりました。ページ48
あなたが死を恐れるとき、死はまだ来ていない。死が本当に来たとき、あなたはそこにはいない。だから死は恐れるに当たらないというギリシャの哲人、エピクロスの言葉通りだと思いました。ページ60
臨死体験者の話を耳を傾けると、最後に自分というものが世界と一体化する、そういう表現をする人が実に多いですね。…西欧人にとっては目新しい語り口かもしれないけれど、東洋にはそういった世界観は昔からあった。そういう意味で意識の科学は東洋的な世界観に近づいていると言えると思います。深いように見えて、実は深くないけれど、本当は深い、みたいな話です。ページ178