日本会議の研究

日本会議の研究」を読みました。私「日本会議」を知りませんでした。阿部政権の屋台骨を支えている団体だそうです。自民党は選挙もブレーンもこの団体に支えられているそうです。非民主的な思想を持つ人々が「民主的な市民運動」で目的を達成しようとしているそうです。それにしても著者は勇気あります、タブーに挑戦しています。備忘します。

日本会議の研究 (扶桑社新書)

日本会議の研究 (扶桑社新書)

…「日本会議」は、教科書採択や男女共同参画バッシングで実践した多数の団体を通じて活発な地方活動を行うという運動手法を改憲運動でも用いている。そしてこの動きは、政権の動きと連動しつつ一気呵成に突き進んでいるように見える。ページ27
靖国神社問題の端緒は「政治と宗教」である。歴史認識や諸外国からの反発ではない。そして、その「政治と宗教」の問題の最前線における大失敗と禍根が、日本会議の源流の1つだ。その点を踏まえると、日本会議にとっては、A級戦犯合祀の是非という歴史認識よりも、いかにして宗教性を保ったま靖国神社で慰霊行事を行うかという「政治と宗教」の問題こそ最大のポイントだといえまいか。ページ76
東京都港区の事例から「日本会議」では地方発の草の根運動であるかのように擬態するということをの意味をご理解いただけたと思う。と同時にその事務処理能力の高さもご理解いただけたであろう。ページ109
個々の構成員は高齢で、…考えが幼稚でかつ多種多様かも知れないが、これを束ねる事務方は、極めて優秀だ。この事務方の優秀さが、自民党の背中を押し改憲の道へ突き進ませているものの正体なのだろう。ページ132
日本会議の推進母体たる「日本青年協議会」の起源は、70年安保の頃の長崎大学学園清浄化運動にある。…長崎大学を中心とした九州各地の大学で、左翼学生との闘争に勝利し一躍民族派学生運動のヒーローになった人々だ。ページ 211
安倍政権を支える「日本会議」の事務総長椛島も、安倍首相のブレーンと目される伊藤も、内閣総理大臣補佐官である衛藤も、政府が南京事件の記憶遺産登録を阻止すべく頼った高橋も、全員が「成長の家」から出た人々だ。だが椛島や伊藤を輩出した宗教法人「成長の家」本体は1983年に政治運動から撤退している。ページ230
この安藤巌こそが、椛島や伊藤や中島では適性に欠ける「運動に参画する多数の人々の情熱を維持し続け、運動に従事する人々の胸を熱くし続ける」谷口雅春に匹敵するようなカリスマ性を持った人物の要件を満たしているように思える。ページ245
鈴木邦夫自身が複数の著書で度々自分で言及してるように、当時の彼は熱心な、「成長の家」信徒だった。…鈴木はこのハニートラップ始めとする安東の仕掛けた罠にまんまと引っ掛かる。安東の元には鈴木の非行歴報告が次々と寄せられるようになったという。ページ280