日本古代中世史 9・10回

放送大学「日本古代中世史」第9回「中世の始まりと院政というシステム」第10回「鎌倉幕府と武士の成長」を視聴しました。講師は東大教授の本郷和人先生です。熱い語り口、楽しそうな話しぶりに引き込まれました。定説だけでなく研究者として自分の考えも述べています。実に面白い講義です。備忘します。

中世の始まりは1068年、後三条天皇が荘園の解体を始めました頃です。後三条天皇の子が白河天皇です。白河天皇は退位後、上皇となり権力を保持しました。これを院政といいます。土地を守るために武装した集団を武士と呼びます。武士の頭領、平清盛保元の乱平治の乱を勝ち抜き、のちに後白河法王を幽閉し、六波羅政権を成立させました。「権門体制論」によれば、院政の時代から室町幕府に至るまで天皇に権力があり、公家、武家、寺家が相互補完的に天皇を支えたと考えられています。清盛の没後、源頼朝が将軍になりました。
武家政権鎌倉幕府室町幕府江戸幕府で性格を変えています。権力は、徐々に主従関係中心から民衆統治まで拡大していきました。鎌倉幕府では梶原景時、比企義和、畑山重忠、和田義盛は北条に滅ぼされ、三代将軍実朝も暗殺され、北条は執権という立場で権力を掌握しました。後鳥羽上皇の「承久の乱」は鎮圧され、上皇隠岐に流されました。錦の御旗が敗れるのは珍しいことです。その後、御成敗式目を制定し「安堵」と「撫民」を目指していきました。しかしモンゴルの来襲により財政は逼迫し、御家人のために徳政令を施行しました、鎌倉幕府滅亡の遠因といわれています。