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弱いロボット

「弱いロボット」を読みました。目から鱗の内容でした。たとえば介護ロボットは寝たきりの人を抱き上げる、ペットロボットは人の心を癒やすなど、人間の筋力や会話の代役をイメージすることが多いと思います。自律できないロボット、人間がアシストする必要がある「弱いロボット」の概念は斬新です。ロボットが人を支えるのではなく、人がロボットを支えるのです。それにしても、ロボットを研究するということは人間を知ることだということがよくわかりました。備忘します。

弱いロボット (シリーズ ケアをひらく)

弱いロボット (シリーズ ケアをひらく)

ホンダの2足歩行ロボットであるアシモの開発でターニングポイントになったのは、静歩行モードから動歩行モードへのシフトである。…動歩行モードでは、自らその静的なバランスを崩すようにして倒れ込む。しかし倒れ込みながら踏み出した足が地面からの反力を受け、それを利用して動的なバランスを維持しているのである。この一方踏み出す時、重心の位置は足底の位置から前に少しだけはみ出してしまう。自分の体を地面に投げ出している感じだろう。体と地面の間にはこの「委ねる、支える」という絶妙ともいえる連携プレイがある。私たちは地面の上を歩いていると考えやすいけれども、同時に、地面が私たちを歩かせているとも言えるのだ。もう少し丁寧に考えるならば、何気ない一歩とそれを支える地面とが一緒になっていわゆる「歩行」という一連の行為を組織しているということです。ページ61
「いらっしゃいませ、こんにちは」はとても具合がいいのだ。形式的な挨拶によって、お互いは見知らぬ人、それほど親しくないものであることを表示しあう。そのことでコンビニの店員さんと、時々訪れるお客さんとの距離感を微妙に調整している。どこまで意識しているかわからないけれど、これも配慮の1つのページ92
「あそうか、自分で動けなければ、誰かに動かしてもらえばいいのか」他者を予定しつつ他者に予定される、そんなロボットがあってもいいのではないか。他力本願なロボットのコンセプトが生まれた瞬間だった。ページ117
「1人では何もできない」という開き直りの中で、自分のこと自分だけで表現することを半ば諦めてみると、それを取り囲むものとの関係や他者との関係が顕在化してきた。これは身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあり筏乗り、といった感覚だろう。ページ129
言葉の持つリアリティーとは、ここの言葉にではなく、むしろこうしたカップリングの中に宿るのであるページ145
(ごみを拾えない)ゴミ箱ロボットも意志を子供たちに察してもらうためには、まず「あれどうしたんだろう。なにか困っていることでもあるのかな」と子供たちの志向的な構えを借りる必要がある。ページ186
ロボット研究の多くは、前者の「1人で何でも出来てしまう、自律的なロボット」を目指してきたといえる。しかし、ゴミ箱ロボットや「ムー」などの他力本願なロボットたちは1人では何も出来ない、でも誰かのアシストがあればできる、すなわち発達の最近接領域で機能するロボットを目指してきたといえるだろう。ページ198
…私たちの「体」との間で「コト」を満たすような、そういうユニークなデバイスとしてのロボットを私は求めていたのだろう…これらを可能にしてくれる「弱いロボット」は、これまで以上に大切なものとなってきたのである。ページ205