お菓子読本

「お菓子読本」を読みました。 私が明治製菓に入社する1年前に刊行された本です。明治製菓の「お菓子」に対する自負と矜持を彷彿させる本です。以前、私の書棚にありましたが、いつの間にか喪失していました。この度、縁あって入手しました。約40年ぶりの再読です。
お菓子の文化的意義から始まり、和菓子も含めた菓子の分類、西洋干菓子の詳細な分類を著述しています。すなわち「チョコレート」「ココア」「ビスケット」「スナック」「キャンディー(キャラメル含む)」「チューインガム」などです。開発の歴史から現状まで詳細に記述しています。さらに包装、品質管理、流通、原料事情、法規までを網羅しています。非売品ながら一般消費者にもわかる内容で、最終ページには「消費者窓口」として日本、全営業所の所在地と電話番号が記載されています。昭和52年当時、明治製菓の函館の拠点は「「新川町9−9」でした。道南食品との同居ではなかったことを知りました。
道南食品に勤務している時にこの菓子の基本知識を知っていればもっと良い仕事ができたのではないかと大いに反省しました。備忘します。

お菓子読本 (1977年)

お菓子読本 (1977年)

…口どけと深い関わりのあるものにもう一つ、砂糖、カカオマス、粉乳などの固体粒子の大きさとココアバターの量との関係があります。同じチョコレート25ミクロンの粒子にした時と、10ミクロンの粒子にしたときとでは、ココアバター重量が同じならむしろ25ミクロンの時の方が口どけがよくなめらかに感じます。ページ86
飲料としてのチョコレートはココアバターが多量に含まれているため大変の苦いものでした。1828年、オランダ人のバンホーテンはカカオ豆をすりつぶしたカカオマスから、ココアバターを1部取り除いて、脂肪分の少ない、飲みやすい飲料を作り出すことに成功しました。さらに彼は酸味の強いこの飲料をアルカリで中和することにより刺激や渋みを減らし、いっそう飲みやすくする方法を考案し、飲み物としてのチョコレート、すなわちココアの歴史に大きな進歩をもたらしたのです。ページ84
チョコレート食べると鼻血が出るなどということはやりますが、…これは昔チョコレートが非常に高価だった時代に、親が子どもにチョコレートをたくさん食べられては大変と、考え出した言葉であろうと言われ、根拠のあることではありませんページ106
ビスケットの語源はラテン語ビスコクトウム。パネムで「2度焼いたパン」であると言われ、フランス語のビスキュイ、ポルトガル語のビスカウトも、みな二度焼くという意味を持っています。ページ117
キャラメルは砂糖をこがすに由来しました。1892年にイギリスのマッキントッシュが、砂糖、バター、ミルク、ブドウ糖を原料にして、「クリームタフィー」を作り出しました。これも大きな出来事でした。ページ172
お菓子の包装は、普通3つに分けられます。まず私たちが店頭で手にするここの商品そのものを「個装」と言います。つぎに、「個装」 10から20個ぐらい入れた箱を「内装」と言います。「内装」は、商品を保護する目的のほか、小売店舗などの陳列容器としても用いられます。最後に、幾つかの「内装」を入れた一番外側の包装を「外装」と言い、輸送中や倉庫に保管中の商品保護を目的とします。ページ214
チョコレートは非常にデリケートな食品だと言えます。それだけに製造した時と同じ味と香りを保つことが大切です。アルミ箔はこうした用途にぴったりの包装材料で、保香性の他に防湿性や防虫効果に優れた性質を持っています。特にチョコレートは香りの強いお菓子ですから、虫が付きやすく、これを防ぐためにもアルミ箔でヒートシールし、密封してあるのです。ページ220
このようにブルームは高温と急激な温度変化によって起こるもので、チョコレートが新しいか古いかということは直接関係がありません。なお製造過程ではテンパリングやエイジングを行いブルームが起こりにくいように勤めていますが、流通過程などで高温にさらされる等の悪い条件が重なると、ブルームが起こってしまうことがあるわけです。ページ264
昔は朝夕二度の食事が普通で、一日三食が一般的になったのは16世紀終わりの安土桃山時代からだと言われています。17世紀後半、江戸時代に入って、昼食と夕食との間に間食の習慣が始まり、これが昔の時刻で「八つ時」だったところから間食を「おやつ」というようになりました。「八つ時」とは現在の午後2時にあたります。ページ293
ファッジ砂糖、バター、牛乳などで作ったキャンデーで、砂糖のごく細かい結晶シロップ、又は脂肪で包んだ組織をしている。フォンダンとキャラメルの中間物のようなもの。チョコレートやコーヒーなどを加え、味に特徴持たしたものがある。ページ310