福岡伸一、西田哲学を読む

福岡伸一、西田哲学を読む」を読みました。 副題は「生命をめぐる施策の旅」「動的平衡と絶対矛盾的自己同一」です。生物学者、福岡氏と哲学者、池田氏との対談です。尊敬する先輩の推薦ですので心して読みましたが、難しい内容でした。福岡氏の「動的平衡」と西田哲学には共通するものがあり、西洋哲学では解明できなかった生物そのものを解明する可能性を探っています。対談者の池田氏が福岡氏の疑問に答えることで西田哲学の本質に迫る展開です。
ロゴス(理性)で生物を捉えようとすると、細胞でできているとか、DNAで規定されるとかの議論になリますが、生物はピュシス(自然)の立場で全体を一つとして考えないと理解できないと述べています。それが、西田哲学で言えば「絶対矛盾的自己同一」、福岡生物学で言えば「動的平衡」だと述べています。圧巻の議論は「年輪」の部分で「環境が年輪を包み、同時に環境は年輪に積まれている」の解釈で福岡氏の疑問に池田氏が答えます。なかなか腑に落ちないようで執拗に食い下が李ます。私も同じように疑問を抱きながら読み進め、私もおぼろげに理解できました。禅問答のような様相です。
私は学生時代、西田哲学「善の研究」を読み切ることはできませんでした。述語を理解できず、論の理解まで行きませんでした。一方、福岡氏の「動的平衡」 については、三冊の読書経験があり、平易な表現でもあり、ほぼ理解しています。
「もう牛を食べても安心か」 http://tao-roshi.hatenablog.com/entry/20110217
動的平衡http://tao-roshi.hatenablog.com/entry/20120517
生物と無生物のあいだhttp://tao-roshi.hatenablog.com/entry/20130304
ロゴスとピュシスの関係は理解できました。時間を空間的に理解してはならないことも理解しました。原因があって結果があるという考え方では、生物を理解できないこともわかりました。それにしても、「生物」は、一歩先に分解して、合成することで命をつないでいる(時間を作っている)というのは、斬新な考え方です。備忘します。

私は科学の本当のゴール、すなわち科学の出口というのは何かと問われたら、「それは言葉である」と答えるようにしています。つまり「生命とは何か」という問いに対して誰にでも分かる言葉ーそれは短い言葉ではないかもしれないですけれどもーで答えることができれば、それが科学の出口、生物学の出口だと思っているんです。ページ33
ヘラクレイトスの立場は、「ピュシス(自然の立場)」と呼んでいいのですがそ。れに対になる言葉として、「ロゴスの立場」があります。ページ40
従来の哲学では「存在」と「無」しか考えてこなかった。存在と無の「あいだ」に問題があるとはだれも気づかなかった。福岡さんの生命科学で言えば、生命現象は細胞に関係している。と。しかし、細胞の中が問題にされることはあっても、細胞の膜を問題にした人はあまりなかったのではないですか? そうですねただの輪郭だと誰もが思っててわけです。ページ49
独特の文体は、ロゴスではなく、ピュシスを語っていたからなんですね。これには、目からウロコが落ちた気がしますページ63
このように、包まれていたものが包んでいたものであり、包んでいるものは包まれることになるという、そういうピュシスの仕組みを西田は「歴史的自然の形成作用」と呼んでいて、それがまさに逆限定だと言われてもいるわけです。ページ98
福岡さんは「生物と無生物のあいだ」で「エントロピー増大の法則に抗して秩序を維持することが生命の特質である」と書かれていましたね。このことを西田は「逆限定」と言っているのだと僕は理解しています。ページ117
「環境が年輪を包み、同時に環境は年輪に包まれている」あるいは「年輪は環境を包み、同時に年齢は環境に包まれている」…いずれにしても、逆限定=合成と分解、エントロピー増大と減少、年輪の形成と表出、この逆反応がぐるぐる回ることによって初めて点が結ばれ、時間が流れ出すことが分かります。つまり逆限定とは時間を生み出す仕組みだと言えるように思います。ページ133
かかる世界は単に過去から未来へではない、これはつまりおよそ世界というものは、単に過去を基に未来が作られる、いわゆる「アルゴリズム的」もしくは「AI的」なあり方をしているものではないと言われてるのだと思います。 …「単に機械的ではない」機械的というのは因果律的にAが起これば、その結果としてBが起こるというふうのものであるのですが、そのこと否定しているということは、つまり生命はそういった機械的なものではないとここで言われてると思います。「単に未来から過去へでもない」一方で西田はこうも言っています。つまり過去から未来へとアルゴリズム的でないのと同時に、未来があるからそれに基づく過去というものがあるわけでもない、とここで説明されています。双方向の働き・動きというものがここでも表現されてるように思います。…「単に目的的でもない」生命は何らかの目的を持ってそのゴールに向かって進んでいるわけではない。ページ159
エントロピー増大の法則に対抗して生命はどうして生命たりえるのかということを考えるときに最も重要なことは、ものを作ることを頑張っている生命が、実はものを作ろうと同時にエントロピーの増大が迫って来るよりも先に自分を壊している、というこの隠れに気づくこと、つまり、西田や池田先生が言われている意味での実在論的な視点を持つということなんだと思うんです。ページ205
一生むなしく終わらせたくないのであれば、現在を過去未来の同時性として生き抜く以外の生き方はありえないのです。その意味で二度と同じ状態を取らない「一回性」とは常に「かけがえのないこと」といえるのではないでしょうか。ページ229