20世紀と格闘した先人たち

「20世紀と格闘した先人たち」を読みました。副題は「1900年アジア・アメリカの興隆」です。100年前に、後進国日本から、単身米国に向かった人たちの物語です。新渡戸稲造岡倉天心、津田梅子、高峰譲吉野口英世、皆素晴らしい先駆者でした。鈴木大拙西田幾多郎は金沢の旧制高校で同級生とは驚きました。異国にいて日本を背負い、夢の一部を達成し、また挫折した日本の勇者たちです。環太平洋の日本、中国、米国の関係の複雑さと協調の大切さを学びました。著者、寺島実郎氏の労作に深く感謝します。素晴らしい著作です。感動しました。備忘します。

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ヘンリールースを調べてきて改めて痛感するのは、日本関係の谷間にいかに中国という要素が絡み付いてきたかという歴史認識である。これは、この100年のアジア太平洋史をつなぐ重要な要素であり、現代においても忘れてはならないことである。ページ51
ソ連の画策も十分に考えられることだが、太平洋戦争に向かったルーズベルト政権にとって、より大きな影響力与えたのは中国であろう。ページ57
新渡戸稲造こそ近代日本が生んだ世界を見た知性であり、大きく、暖かく厳しい魂の持ち主であった。悩み深く傷つきやすかった青年は、世界の大海を見ながら、大きく強い存在となった。そして、日本近代史の宿命を負いながら、東西の融和を夢見つつ、カナダの地に客死した。ページ108
鈴木大拙は、「敗戦」を「終戦」と言い換える日本人の欺瞞を指摘し、日本は終戦ではなく無条件降伏したことを直視すべきとする。そして、降伏は恥辱でも不名誉でもなく、力もないのに抗戦を続けることこそ非合理合理であるという。ページ131
パル判事は、日本の青年に「西洋の分割して統治せよという政策を警戒してください。どんなに大切なイデオロギーのためであっても、分裂してはいけないのです」と述べたあと、「若い日本の皆さんにお願いしたい、物質的に順応するだけではいけない。精神的に順応することが大切です。身近な仕事や目的に準用するばかりでなく、大局的なビジョンに基づいて仕事や目的を決めていただきたいのです。人類社会に対する高い使命に燃えて人生のいいよ十分に発揮していただきたいんです」と結んでいる。ページ260
日露戦争経て自信を深めるにつれて、自らも列強の一翼を占めるという誘惑に引き込まれた。すでに世界史のテーマが「民族の自決」と国民国家の時代に向かいつつあることを読み取れなかった。もしこの時点で日本の指導者層に一歩前に出たビジョンを持って西洋のアジア支配から脱却に共感と連帯を構想する人物がいれば20世紀の日本の歴史は変わっていたであろう。ページ277
1902年から1921年ワシントン会議で解消するまでの20年間で、日本は英国というアングロサクソンの国の二国間同盟に支えられて、日露戦争から第一次世界大戦まで、ユーラシア外交の勝ち組としてプレーすることができた。ページ347
この米中日中3カ国関係の微妙な相関力学こそ、20世紀のアジア太平洋関係の基底に横たわる宿命の構図であるが、冷戦と中国の共産党背景とした特殊な日米蜜月の半世紀が終わり、本来の米中日トライアングルの相対ゲームの構造が再浮上しつつある。ページ350
米国との長期的同盟関係を重視、米国をアジアから孤立させない役割を担う一方で、中国を国際社会のルールづくりへの関による参加者に招き入れる役割を果たすことが、21世紀日本の外交の基軸とされるべき2つの柱といえよう。ページ380