街道をいく 長州路 肥薩のみち

NHKスペシャル 街道をいく 第1シリーズ第5回 長州路 肥薩のみち」をオンデマンドで視聴しました。明治維新の原動力は長州にありました。その長州が奇兵隊を生み出したのは、関ヶ原で家康に藩を縮小された時に家臣たちが、それでも毛利輝元について行ったことが端緒だと述べています。禄を絶たれた武士は商業や農業に携わりながら、反骨と改革の志士を育てたのだと。高杉晋作吉田松陰にその典型を見ています。一方、薩摩と肥後熊本は、隼人と熊襲であり、もともと中央政府の束縛を好まない気性の地で、西郷隆盛を担いで気概を示しました。田原坂の激戦の地では、今も弾丸が山肌にいくらでも見つかるそうです。番組紹介文を転載します。

かつて太宰治は故郷の津軽を「本州の袋小路」と形容して貧しさを嘆きましたが、作家・司馬遼太郎は「北のまほろば」と、豊かさをたたえました。また、津軽藩のコメ一辺倒政策の悲劇を憂い、「古代はよかった。中世も悪くなかった」と振り返りました。第3回は、司馬が旅した足跡をたどり、弘前市三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)を訪れ、古代から続く青森の歴史を通して、社会のあるべき姿の原型を青森の四季に重ねます。
明治維新はなぜ達成されたのか。そして、長州と薩摩はなぜ維新の原動力となりえたのか。その答に迫ろうとして、作家・司馬遼太郎は、長州路と肥薩(ひさつ・肥後と薩摩)の道を歩きました。司馬は江戸時代の諸藩がそれぞれに培っていた個性と多様性に着目し、とりわけ長州と薩摩の強烈な独自性に眼を向けました。第5回は、この二つの道をたどり、維新を成し遂げた幕末の志士たちを通して描く日本の風土論です。