徒然草

徒然草」を読みました。大学受験以来の悲願でした。通読は、はじめてです。高校の頃から、漢文、古文は得意科目でしたので、原文で読み始めましたが、途中で心折れて現代語訳で読み、興味深い内容を原文で読むというスタイルになりました(哀)。教訓やエピソードなどいくつかを思い出しました。懐かしく、ほろ苦い気持ちになりました。高校生に「無常」などわかるわけもなく字面でわかったと思っていただけでした。この年になって「死」とか「老」を論じられると胸に迫ります。老獪なエッセイです。「老人が、若い人の中に入って、場を盛り上げようと何か言うこと」は良くないと(痛)。「未だ至らず」と。心して備忘します。

手のわろき人の、はばからず文書き散らすはよし。見苦しとて人に書かするはうるさし。(35段)
悪筆の人が遠慮せずに手紙をあちこち書くのは良いことである。見苦しいと言って代筆させるのは嫌味なものである。ページ293
我らが生死の到来、ただ今にもやあらん。それを忘れて物見て日を暮らす、愚かなることはなほまさりたるものを(41段)
私たちのもとに死が到来すること、まさに今この時かもしれない。それを忘れて見物して一日を費やしている。その愚かさはあの法師よりずっとひどいものなのに…ページ297
仁和寺にある法師、年寄るまで石清水を拝まざりければ、心憂く覚えて、あるとき思い立ちて、ただひとり、歩行より詣でけり…少しのことにも、先達あらまほしきことなり。(52段)
仁和寺にいたある法師が、年をとるまで石清水八幡宮に参詣したことがなかったので、それを残念に思って、ある時思い立って、ただひとりで、徒歩で参詣した。…ちょっとしたことでも案内役はいてほしいものである。ページ303
身を養ひて何事かを待つ。期するところ、ただ老いと死とにあり。その来たること速やかにして、念々の間にとどまらず。これを待つ間、何の楽しびかあらん。惑へる者はこれを恐れず。名利に溺れて、先途の近きことを顧みねばなり。愚かなる人は、また、これを悲しぶ。常住ならんことを思いて、変化の理を知らねばなり。(74段)
自分の身を養生して一体何事を期待するのであろうか。確実に未来に期待できるのは、ただ老と死だけである。その2つが身に迫ることは速やかで、一瞬の間もとどまっていない。老と死を待つ間、一体何の楽しみがあろうか。迷えるものはと死を恐れない。名誉や利益に心奪われて、死期の近いことを顧みないからである。愚かな人は、また、老と死を悲しむ。世界が永久不変であるだろうと思って、万物は時々刻々変化して止まない道理を知らないからである。ページ318
よくわきまへたる道には、必ず口重く、問はぬ限りは言わぬここそいみじけれ。(79段)
通暁している分野については必ず口数を少なくして、問われない限りは何も言わないのが立派な態度である。ページ321
「抗龍の悔いあり」とかやいうこと侍るなり。月満ちては欠け、物盛りにしては衰ふ。よろづのこと、さきのつまりたるは、破れに近き道なり。(83段)
「天上へ上り詰めた龍は後悔する」とかいう言があります。月は満月になればかけ、物事は繁盛すれば衰退する。万事頂点に達してしまうことは破綻へと向かう道理なのである。ページ323
高名の木登りといひしおのこ、人を掟てて、高き木に登らせて梢を切らせしに、いと危うく見えしほどは言ふこともなくて、降りるときに軒長ばかりになりて、「誤ちすな。心して降りよ」と言葉を懸け侍しを…(109段)
有名な木登りと言われた男が、人に命令をして、高い木に登らせて梢をきらせていたとき、とても高いところにいて極めて危険だと思えた間は何も言うことなくて、降りてくるときに、軒の高さくらいになって、「怪我をするなよ、気をつけて降りてこい」と言葉をかけましたのを…ページ339
大方、聞きにくく、見苦しきこと。老人の、若き人に交はりて、興あらんと物言ひゐたる。数ならぬ身にて、世の覚えたる人を隔てなきさまに言ひたる。貧しき所に、酒宴好み、各人に饗応せんときらめきたる。(113段)
聞きにくく見苦しいことといえば、次のようなことだ。老人が、若い人の中に入って、場を盛り上げようと何か言うこと。取るに足らの分際でありながら、名望ある人のことを親しげに話すこと。貧しい家のくせに、酒宴をしたがり、招待客を豪勢にもてなそうと派手に振る舞っていること。ページ341
友とするわろき者七つあり。一つには高くやんごとなき人、二つには若き人、三つには病なく身つよき人、四つには酒を好む人、五つにはたけく勇める兵。六つには虚言する人、七つには欲深き人。よき友三つあり。一つには物くるる友、二つには医師、三つには知恵ある友。(117段)
友とするには悪い者が7つある、。第一は高貴な人、第二は若い人、第三には無病で頑健な人、第四には酒飲み、第五には勇猛な武者、第六には嘘つき、第七には欲の深い人。よい友は3つある。第一にはものくれる友、第二には医者、第三には知恵のある友。ページ343
ばくちの負け極まりて、残りなく討ち入れんとせんにあひては、打つべからず。(126段)
博打打ちで、負けきってしまって、すべてをかけようとする、そういうものに遭遇したならば、打ってはならない。ページ348
貧しくて分を知らざれば盗み、力衰へて分を知らざれば病を受く。(131段)
貧しくてかつ分際を知らないと窃盗を働くし、力衰えて分際を知らないと病気なる。ページ351
花は盛りに。月はくまなきをのみ、見るものかは。(137段)
桜の花は満開の時だけを、月の光は一点の曇りもない時だけを、鑑賞するのであろうか。ページ355
人、恒の産なき時は恒の心なし。人窮まりて盗みす。(142段)
人間は、安定した資産がないときは安定した心も持てないものである。また人は追いつめられて盗みを働くのである。ページ363
人皆死あることを知りて、待つこと、しかも急ならざるに、覚えずして来る。沖の干潟遙かなれども、磯より潮の満つるが如し。(155段)
人は皆死が訪れることを知っているが、心の準備がさほど切迫してないうちに死はふいにやってくる。それはあたかも干潟がまだずっと沖のほうにあると見えたのに、いつの間にか足下の磯から潮が満ちてくるようなものである。ページ369
さしたることなくて人のがり行くは、よからぬことなり。用ありて行きたりとも、そのこと果てなば、とく帰るべし。久しく居たる、いとむつかし。(170段)
これという用事がないのに人のもとに行くのは、よくないことである。用事があって行ったとしても、その用事が済んだら、すぐに帰るのが良い。長尻はたいそう煩わしい。ページ375
かねてのあらまし、皆違ひ行くかと思ふに、おのづから違はぬこともあれば、いよいよ物は定めがたし。不定と心得ぬるのみ、まことにて違はず。(189段)
前々からの思惑が、全てうまくいかないと思っていると、たまさかにうまくいくこともあるので、いよいよ物事はあてにならない。あてにならないと覚悟していることだけが、真実であって外れることはない。ページ390