国民のための戦争と平和

「国民のための戦争と平和」を読みました。亡き小室直樹氏の著作です。それも1981年の旧い著作です。古さを感じさせない論です。その後30年間、日本は戦争と平和について考えずに過してきました。そのツケが回ってこないことを祈っています。小室氏は戦争を定義しています。「戦争とは国際紛争解決の手段である、戦争以上に合理的で実効的な紛争解決の手段を創造しない限り戦争はなくならない」。世界の歴史ばかりでなく、先の大戦で敗れた日本の事例からも明らかだと思います。満州を統治した日本は、戦争しなければ国の正義を貫けなかったし、負けなければ撤退できなかった。各国が正義を貫けば戦争しか解決方法がないわけです。尖閣列島竹島も大問題にならないのは重要な地政学的、資源的な意味が少ないからだそうです。本論は、右翼的な論ではありません(念のため)。備忘します。

国民のための戦争と平和

国民のための戦争と平和

戦争は、文明の生み出した一つの制度である。ページ66
…したがって、いきなり起こるように見える侵略戦争も、実は「戦争とは、国際紛争解決の最終手段である」との命題の特殊事情にすぎない。ページ86
日本人は、建前と本音は違うものだと思っている、少なくとも違うのが普通だと思っている…建前と本音が乖離し始めたならば、直ちに手当をしようという気持ちがない。ところが、この乖離こそ社会の忌むべき病原菌なのだ。早期に手当をしないと死に至る病となる。制度そのものが崩壊するのだ。ページ133
…国連は国際社会において、主権国家の上を行く上級の権威だと思ったなら、錯誤もはなはだしい。世界連邦論者が、国連を、将来成立することのあるべき世界連邦の萌芽であるように扱っているが、これは途方もない誤解である。…ページ150
国連の基本理念は「現状維持」だと言うのだ。現状は固定せられるべしと言うのだ。どこか片ではないだろうか…国連は第二次世界大戦の現状維持の執行を目的とする暫定的国際平和維持機構である。ページ174
よく日本人は外国人に対して、「それは憲法上できないんです」と言う。…憲法はそちらの事情であって、こちらには関係が無い…まともなセンスのある人なら、こういうだろう。「実は、我が国ではすぐに憲法問題となるので、なかなか対処が難しいのだ、…国内には尖鋭な対立があるので、うかつに扱うと時の政権の命運にもかかわりかねない問題なのだ。」ページ192
真の平和を願う者のなすべきことは何か。まず、戦争の文明史的本質を洞察することである。「戦争とは国際紛争解決の手段である」「戦争以上に合理的で実効的な紛争解決の手段を創造しない限り戦争はなくならない」 しかし、未だ具体的な方向すら発見されていない…要するに試行錯誤の段階である。…努力の過程で、ひょっとしたら戦争以上に合理的で実効的な…ヒントが得られるかもしれない。その間は、現実の戦争の可能性に対し、物心両面で十分備えがなくてはいけない。ページ221