ゴリラからの警告

「ゴリラからの警告」を読みました。京都大学総長、ゴリラ研究の大家のエッセイです。ヒトとゴリラ(類人猿)・サルは近い種です。「笑い」一つとっても共通点があることがわかりました。サルは、自分が劣位で敵意を持っていないことを知らせるために笑う、また遊んでいるときに笑うそうです。ヒトの笑いも起源は一緒です。ヒトは生物であり、類人猿であり、その枠を越えることはできないと主張しています。進化の中でヒトは新しい能力(共感力など)を獲得しましたが、今、先祖返りをして、社会や秩序を破壊する方向にむかっているのではないかとの指摘しています。「モラルの起源」「利己的な遺伝子」の最終形を語っているようです。さらに現代社会への提言をしています。普通の意見で少しがっかりしました… 備忘します。

ゴリラからの警告「人間社会、ここがおかしい」

ゴリラからの警告「人間社会、ここがおかしい」

ではなぜ、人間の社会は父親を作ったのか? それは人間が頭でっかちで成長の遅い子供をたくさん持つようになったからだ。豊かで安全な熱帯雨林を出て、危険な、食物の少ない環境に適応するため多産になり、脳を大きくする必要に迫られて体の成長を遅らせた結果である。母親1人では育児が出来なくなり、男が育児に参入するようになったのだ。しかし、育児をするだけでは父親にはなれない。父親とは、ともに生きる仲間の合意によって形成される文化的な装置だからである。ページ35
つまり集団サイズが大きいほど、仲間の数が多いほど、脳が大きくなってるのだ。それを現代人の脳サイズにあてはめるとと、私たちの脳の大きさに対応する集団希望は150人だということがわかった。面白いことに、現代でも自分で食糧生産せずに、自然の惠に頼っている狩猟採集民の平均的な村のサイズは150人だそうだ。ページ43
笑いは人間の証であり、人々に和をもたらす最良の手段であることを忘れてはいけない。サルの笑ではなく、福を呼ぶ笑いを浮かべて日々を過ごしたいものである。ページ59
老齢期の過ごし方は、人それぞれに異なっている。それは、老いの内容がそれまでの人生の過ごし方によって大きく異なるからだ。老人は個性的な存在である。子供たちと同じように、老人たちを集団で扱うことはできない。… 人間の社会においても、老境の存在は対立を解消し平和を実現するうえで常に大きな影響力を発揮してきたに違いない。老人たちはただ存在することで、目的的な強い束縛から人間を救ってきたのではないだろうか。その意味が現代にこそ重要になっていると私は思う。ページ64
そもそも人間はひとりで時間を使うようにできていないからである。700万年の進化の過程で、人間は高い共感力を手に入れた。他者の中に自分を見るようになり、他者の目で自分を定義するようになった。ひとりでいても、親しい仲間ことを考えるし、隣人たちの喜怒哀楽に大きく影響される。ゴリラ以上に、人間は時間を他者と重ね合わせて生きているのである。ページ71
道徳の低下は、現代の日本人が急速に孤独になったことを示している。それを少しでも埋め合わせようとして、人々は自分の行為をブログやFacebookに載せて報告する。しかし、ネット上の共同体には行為を抑制する力はないので、逸脱した行為を止めることも抑制することもできない。ページ157
特にそれは、自分の子孫たちの安全を保証するための最善策だった。自分が他人の危機を救ったことが代々伝えられ、その記憶がいつか自分の子孫を救うことになるかもしれない。もはや自分はこの世にいないかもしれないが、自分の子供達の安全のために力になりたい。そう願う心が世代を超えて人々をつなぎ合わせてきた。なぜそういった他人への配慮が失われたのか。世の中が自分中心に動いていて、他人を慮ることが非効率で確実に見えるからである。それはサルの世界に似ている。ページ158