なぜ中国は民主化したくてもできないのか

「なぜ中国は民主化したくてもできないのか」を読みました。一般的に民主化することが経済大国や軍事大国になる近道とは言えません。国益の観点から言えば中国のやり方は正しいと思います。中国においては、個人崇拝、リーダーの「皇帝」化こそ早道だったと言うことです。中国は、世界の中心(中華)で、周辺は蛮族ということです。新滅亡後の100年は悪夢だったのでしょう。ギリシャの周辺国をバルバロイ(言葉が通じない人々)といったように、中国は、古来より南蛮、北狄、東夷などと野蛮人と規定していました。その中国が力をつけて「朝貢」から直接支配への道をひた走っているのが今現在です。現中国政府は清王朝の滅亡が沖縄の日本所属から始まったことを忘れていません。沖縄から米軍を追い出し、中国人を移住させ、中国の領土にすることを密かに狙っているのでしょう。私の生きている間のそうならないことを祈ります。中国恐るべし! 備忘します。

2014年10月18日から開かれた中国共産党第19回党大会の場においてもそこでは明らかに習近平に権力を一極集中させるような動きが見られた。…なぜ反対が起こらなかったのか? 日本人にとって全く不可思議なことだろうが、答えは簡単だ。実は中国人は「皇帝」の誕生いつも待ち望んでるからである。これは中国人の「エートス」(社会通念)といってもよい。日本では共同体主義や強いリーダーw@嫌う姿勢などがエートスだといわれるが、中国においてはまさにこの「皇帝政治」こそがエートスなのである。ページ2
近現代になってからの歴史の中においても、まず毛沢東という「皇帝」が現れ、27年間という個人独裁の支配を行った。そして今、この毛沢東と肩を並べるほどの「新しい皇帝」が再び登場しようとしている。ページ42
鄧小平の行った政治改革の1つこそ、指導者の終身制の廃止である。文革をはじめ毛沢東が晩年に政治を大いに乱したことへの反省から、指導者の定年退職制を導入し、最高指導者は党大会二期、10年を務めた後に引退しなければならないというルールを作った。習近平の前任の胡錦濤、さらに前任の江沢民はそれに従い、「2期10年」で引退した。彼らがルールどおりに引退したからこそ、2012年に習近平は最高指導者の座につけたのである。ページ43
…「臣下の礼」の最たるものとして諸国に求められるのは、中華皇帝に対して定期的に貢物を持ってご機嫌を伺いに参上することである。それが「朝貢」だ。しかもその際に、持参する貢ぎ物の経済的価値がどれほどかということは、中華王朝にとってはそれほど大きな関心事ではない。貢物をもって朝貢してくれくること自体が、中華王朝と皇帝にとっては重要なことなのだ。多くの場合諸国からの朝貢を促すため、中華朝廷は朝貢国が持参する貢ぎ物より何倍も経済的価値のある「下賜品」を与える。それほど高い代価を払ってでも諸国に朝貢にきてほしいというのが、中華皇帝の偽りの ない気持ちなのだ。ページ102
中華帝国は周辺民族を完全に制圧するほどの力を持たなかったときには、「徳」を前面に出して彼らを属国として「冊封」して懐柔する。あるいは相手の方が強かったときには「逆兆候」も辞さず相手をてなづける。しかし一旦帝国が巨大化して周辺民族を押さえつけるほどの力を身につけたときには、直ちにその正体をあらわにして侵略戦略を進め、周辺の国々を滅ぼして自国の1部に組み入れてしまう。その時には「徳」も「強化」も語られない。力の論理が全てなのである。ページ112
この日清戦争の結果こそが、清王朝にとって致命的な打撃となった。清王朝の直接統治下の台湾が日本に割譲されただけでなく、清王朝の皇帝を頂点とした中華秩序の中の一番の優等生である朝鮮が、この秩序から離脱して独立したのである。これをもって、中国の歴代王朝が苦心して築き上げてきた中華秩序そのものが、音を立てて崩れてしまった。ページ136
ここまで議論が進めば、もうその結論は出てるに等しい。毛沢東が作り上げた中華人民共和国が鄧小平によって世界の経済大国と軍事大国にまで成長した今こそ、対外的な覇権主義の推進によって中華秩序の再建を果たし、皇帝と中華帝国の支配的な地位を取り戻す。それこそが習近平にとって、毛沢東と鄧小平を超える歴史的業績を作り出せる唯一の領域であり、最後のフロンティアなのである。ページ187
もちろん習近平にとって、いわゆる「沖縄工作」の最終目標は米軍基地の追い出しにとどまらない。なんにせよ、中華秩序の再建を狙う「新しい皇帝」の習近平からすれば、近代における中華秩序崩壊の第一歩はまさに明治政府による琉球処分であったのだから。中華秩序の再建とは当然、その崩壊の第一歩の前まで時計の針を戻す、ということになる。ページ199