数学でつまずくのはなぜか

「数学でつまずくのはなぜか」を読みました。自然数については何の疑問も抱いたことはありませんでした。全く理解していませんでした。深い分析と解説です。微分については、高校生の頃、いい線まで理解していたことを確認しました。すこし嬉しくなりました。本書は、一文、一文を論理的に確認を繰り返して読む必要があります。私、この度は手を抜いて読みました。順を追って丁寧に読んだらもっと楽しく読めたかもしれません。それにしても数学者としての解説もさることながら教育者としての著者の姿に深い興味を抱きました。備忘します。

このようなアフォーダンス的な見方に立脚すれば、数学ができるかできないかのような分類に、ほとんど意味がないと気づくだろう。なぜなら、能力は人人の側ではなく、事物の側にあるからだ。学習障害や知的障害は、健常者に共通する感覚からは数学を受け取ることができないと言うことを意味しているに過ぎない。ページ37
だから、現代の幾何教育、論理教育は、ユークリッドの方法から離れ、現代っ子たちの中に既に萌芽している、ゲーム能力、抽象推論能力を上手に活用するような方法を模索するのが望ましいのではあるまいか。ページ102
このように平面上のすべての点を座標(x,y)で表現することで、図形はある規則を満たす座標の集合として表現されることになる。この方法によって、企画を代数学で代用できる、と思いついたのが、デカルトの偉大さであった。ページ132
以上のように、微分係数とは「真似っこ1時関数」の傾きのことであり、その微分係数をあらゆるxにおいて求め関数で表したものが,導関数である。だから、微分いうのは要するに、複雑な関数を一次関数で局所的に近似することなのである。ページ149
これは驚異的な結果だ。これによって、無限の大きさは1種類ではなく少なくとも2種類ある、と言うことがわかるからである。このような無限集合論は、当初は、哲学的神学的な遊戯とみなされていたのだが、その後、多くの数学者たちによって新しい数学の構築に利用され、数学の基盤となる理論に仕立てられていくことになった。一例を挙げるなら、現代の確率の理論(測度論的確立理論)は、この無限集合論なしには成立し得なかった。この確率理論を使って、現在の私たちの保険業務や資産取引が行われているわけだから、無限集合論は現在、「神学」どころか「実学」に他ならないのである。ページ219