アナタハン島の女王

写真集「毎日ムック新版戦後50年」を読みました(見ました)。寝ながらは読めない、かなり重い本です。この本には写真とともに大きな事件の概略が記されています。戦後50年の大きな事件はほとんど知っているつもりでしたが、知らない事件がひとつありました。以下が全文です。


アナタハン島の女王

1944年6月に空襲でアナタハン島周辺で沈んだ平助丸、あけぼの丸、第七海鳳丸、胡丸などの乗組員、兵士31人が命からがらアナタハン島に泳ぎ着いたが、そこには南海興発栽培主任比嘉菊一郎氏と部下比嘉正一氏夫人の和子さん(正一氏は行方不明で菊一郎氏は和子さんと同棲)と45人の原住民が住んでいた。船ごとにグループに分かれ畑を作り自活を始めたが、そのうち米兵が来て原住民を連れ去り、以後孤島で7年間の生活が始まった。島に落ちていたB29の残骸から2丁のピストルが発見されてから、たった1人の女性である和子さんをめぐって7人の男が次々と殺された(菊一郎氏を含む)。生き残った20人は争いのもとである和子さんを殺すことに決めたが、和子さんは逃げ、1950年6月28日米海軍のカッターミススージー号に救われ、8月故郷の沖縄に戻った。島に残った20人は51年6月26日、米軍の説得に応じて白旗を掲げ、7月6日グアムから帰還。和子さんは52年11月20日横浜で貴社会見し、真相を語り、日本中がアナタハン島に沸き、女王蜂、クインビーのバー、キャバレーが各地にできた。和子さんはその後「銀座コロニー」でアナタハンでの事件をモデルにした芝居に出演、やがてストリッパーで転々。

このような事件が小説や映画にならないはずはなく、ネットで調べると当時そのようだったみたいです。これを読んだときに「宮崎勤・連続幼女誘拐殺人事件」を思い出しました。大塚英志氏はあの事件のとき「メディアが欲情している!」と憤っていました。私も恥ずかしながら、一瞬にして想像が逞しくなりました。男女間の問題だけでなく、殺人罪に対する結着がどうなったのかも知りたいところです。

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