親日アジア街道を行く

親日アジア街道を行く」(井上和彦著 扶桑社刊)を読みました。桜チャンネルでの井上和彦さんの語り口が絶妙で読む気になりました。この本を読んで、今の平和で豊かなな日本は死んでいった人達のおかげであることを痛感しました。ジョージ・オーウェル「1984年」の如く、歴史は都合良く書き換えられることがよく解りました。この本に書かれていることもある種のバイアスが働いていると思います。さらに知識を増やし、自分の頭で考え、周囲の人達だけにでも私の歴史認識を伝えていきたいと思います。高校教科書では以下の通りです。


親日アジア街道を行く―日本近代史の真実

親日アジア街道を行く―日本近代史の真実


…しかし、欧米列強にとってかわった日本の占領支配は、アジア解放の美名に反して、戦争遂行のための資材・労働力調達を最優先するものだったので、住民の反感・抵抗がしだいに高まった。東南アジアの占領地では、現地の文化や生活様式を無視して、日本語学習や天皇崇拝・神社参拝を強要し、タイとビルマを結ぶ泰緬鉄道の建設・土木作業などや鉱山労働への強制動員も行われた。kとにシンガポールやマレーシアでは、日本軍が多数の中国系住民(華僑)を半日活動の容疑で虐殺するという事件も発生した。その結果、日本軍は仏印・フィリピンをはじめ各地で組織的な抗日運動に直面するようになった。 (「詳説日本史」 山川出版より)


第1章 フィリピンに散華した神風

第2章 ペリリューに散った最後の桜

第3章 台湾、その麗しき大和ごころ

第4章 封印された日韓交流秘話

第5章 アジアの曙、マレー独立の戦い


神風特攻隊、作戦の是非はともかく、無駄死にではないことを知りました。大西中将、関大尉の名前は戦前日本の殉教者、愛国者として深く記憶にとどめようと思います。

パラオ南洋庁といえば中島敦の小説を思い出します。戦前、ここに小日本があったことはよく知っていました。日本軍が万歳突撃を改め、ゲリラ戦に近い戦法で米軍をおおいに苦しめましたが、衆寡敵せず3ヶ月後に全滅しました。現地の人は他の島に移動させ、軍隊同士の猛烈な戦闘だったそうです。

戦後すぐ、台湾のは日本統治が終わり中華民国の世になりましたが、蒋介石の命令により3万人が白色テロの犠牲となり処刑されました。2・28事件というそうです。日露戦争の英雄、明石元二郎が台湾の恩人だとは知りませんでした。

朝鮮戦争における韓国軍の将軍や将校は旧日本軍の軍人達だと知りました。日韓併合西郷隆盛の時代からの話で、ロシア、中国からの侵略を抑えるための地政学的な判断であったことは納得できます。韓国からみれば日本が米国をブロックしたのかもしれません。

マレー半島電撃戦ジョホールバルの戦闘のあと、シンガポールが陥落。このあたりについては「リー・クアンユー回顧録」に詳しく、抗日戦線で多くの中国人が連行された記述がありましたが、なぜリー・クアンユーが無事であったかの部分をぼやかしてあったと記憶しています。