大往生したけりゃ医療とかかわるな

「大往生したけりゃ医療とかかわるな」を読みました。今年度上半期のベストセラーです。こういう本を読む年齢になり、実に感慨深い。繁殖期の終わった生物は、遠からず死を迎える、あたりまえのことを忘れているのが人間だと説いています。死に際して余計なことをしなければ苦痛も少ないとのことです。死ぬ準備は、これから生きるために必要だと確認しました。良書です。備忘します。

大往生したけりゃ医療とかかわるな (幻冬舎新書)

大往生したけりゃ医療とかかわるな (幻冬舎新書)

あまり医療に依存しすぎず、老いには寄り添い、病には連れ添う、これが年寄りの楽に生きる王道だと思います。(p.6)
…「あなたは確実にこうなる」と断言するような医者がいたら、とんでもない嘘つきか、喰えないハッタリ屋といっていいと思います。(p.33)
…気の弱い人は、介護職員にピタリと横にはりつかれて、次から次へと口の中に放り込まれるわけですから、仕方なしに飲み込むでしょう。…当然、吐くことになります。…そこで無理を市内方がいいのではないかと意見を述べると、介護職員は目を剥きます。どうも、栄養のバランスやカロリーなどを気にしなければならない時間はとっくに過ぎていることを理解するのは難しいようです。(p.54)
「棺(かん)」に死体が入ると「柩(ひつぎ)」と呼称が変わる。つまり、イカを干すとスルメと名前が変わるようなもの。(p.60)
いのちの火が消えかかっている状態での胃瘻は、回復させることも、生活の質の改善も期待できません。(p.67)
フランスでは「老人医療の基本は、本人が自力で食事を嚥下できなくなったら、医師の仕事はその時点で終わる…」(p.80)
これまで、70歳前後の何人もの有名人が、よせばいいのに、健康であることの証明欲しさに「人間ドック」を受けてがんが見つかり、目一杯の血みどろの闘いを挑んだ末、見事に果てています。(p.106)
「自分の死」を考えるのは、「死に方」を考えるのではなく、死ぬまでの「生き方」を考えるということなのです。(p.148)
私は、2009年、古稀のの記念として、組み立て式の段ボール製の棺桶「エコクラフィン」(52500円)を手に入れました。(p.154)
…健康は、人生を豊かに生きるための手段であるはずなのに、それが目的になってしまっている…「生き方」もないのに「健康」だけを追い求めることに、どれほどの意味があるでしょう。(p.174)
起きて半畳、寝て一畳、天下取っても二合半(p.208)