古事記を旅する

古事記を旅する」第一部を読みました。対馬海流とともに日本海沿いの旅です。地図と写真を参照しながらの読書ですので時間はかかりますが、実に楽しい読書です。尚、この本は「口語訳古事記」「古事記講義」と対で読むようにできています。口語訳や解説のページが示されているので大変便利です。ヤマトとイズモは争い、双方妥協の末、共存の道を辿ったと考えるのが妥当でしょう。出雲旅行の夢が膨らみました。備忘します。

古事記を旅する

古事記を旅する

…奉仕船から降りてきた参拝者が禊ぎをしている。まるでヌーディストビーチのように全裸で海に入ってゆくが、体型の崩れた中年男が多くて華やかさや色気はまるでない。言い忘れたが、沖の島は女人禁制の島である。(p.34)
…黄泉つ平坂は「出雲の国の伊賦夜坂」だと伝えているが…三つの大岩が立っている。そこは何の変哲もない丘の一角で、無理やり探し出された伊賦夜坂としか思えず、これが黄泉の国への入口かと疑惑の目を向けてしまう。(p,52)
現在は佐陀神能保存会の手で伝承されているが、その技量は舞も囃子も相当なレベルである。…見物人は数えるほどしかいない…(p.61)
鳥取市白兎にある白兎神社である。…ほとんど忘れ去られたように小高い丘の上に立つ白兎神社は手入れが行き届いているとは言いがたく…ちょっと寂しい風景である。(p.76)
縄文時代の遺跡から発掘されるヒスイは、すべて糸魚川産である。北は北海道、南は長崎県まで、多くのヒスイが日本列島に拡がっている。…ところが7世紀以降、ヒスイは日本列島から忽然と消えてしまう。…そして、千三百年もの空白の後、昭和14年になってヒスイは再発見されたのである。(p.100)
…オホクニヌシの子タケミナカタが、なぜ諏訪の地に逃げたのか、その道筋はどこを通ったのか…タケミナカタ日本海を東に逃げ、母神のいます沼川郷から川を遡って諏訪に入った…(p.106)