故事成句でたどる楽しい中国史

「故事成句でたどる楽しい中国史」 を読みました。若い人向けの新書(岩波ジュニア新書)ですが、よく書けています。井波女史は文章の達人だと思います。久しぶりに精読しました。内容は故事成句を差し挟みながらの五帝本記から清の滅亡までの中国通史です。国の興亡について考えさせられました。「悪い政治を変革するために革命が起きる」「しばらくは、よい皇帝がよい政治をする」「のちに暗愚な皇帝が続くと国が傾く」この繰り返しです。庶民はこの嵐の中で右往左往しながら自分と自分の家族を守るということです。人の生は一瞬の光芒かもしれません。備忘します。

故事成句でたどる楽しい中国史 (岩波ジュニア新書)

故事成句でたどる楽しい中国史 (岩波ジュニア新書)

五帝の筆頭にみえる黄帝はすぐれた軍事能力の持ち主でした。…とりわけ魔術を駆使する怪物、蛍尤との戦いは困難の連続でした。…蛍尤が魔術をつかって濃霧を発生させたのに対し、黄帝は指南車をつくって自軍を導き、ついに蛍尤を追い詰めて生け捕りにしたとされます。指南車とはつねに南の方角を指し示す仕掛けを備えた車です。後生、人を指導することを指南といい、その役割をになう人物を指南番とか指南役と称するのは、この故事をもとにしています。(p.2)
「城〓の戦い」に勝利したあと…斉の桓公についで、春秋時代第二の覇者となります。…十九年にわたる亡命生活をへて、六十歳をこえた身で君主の座につき、ついに大覇者となった晋の文公こそ、まさに奇跡の人というべきでしょう。(p.32)
…好色な呉王夫差を籠絡すべく、越きっての美女西施を呉に送りこみます。…あるとき苦痛に耐えかねて眉をひそめました。そのやつれた美しさに感動した醜女が眉をひそめたところ、なんともものすごい形相になり、見た人は恐怖で震え上がったという逸話…他人のまねをすることを指して「ひそみにならう」というのは、この話をもとにしています。(p.40)
窮すれば則ち独りその身を善くし、達すれば則ち兼ねて天下を善くす。(現実的に志を果たすことができない場合は自分の身だけをよくし、志を果たすことができた場合は自分の身とともに天下をよくする)この(孟子の)考え方は、中国において士大夫知識人の生き方の指針として受け継がれてゆきます。(p.61)
…亡き昭王の厚遇に対する感謝の念と恵王に疑惑の目でみられた無念さが複雑に入り交じった、真情あふれる名文です。…「古の君子は交わり絶つも悪声を出さず、忠臣は国を去るもその名をきよくせず(いにしえの君子は友人と絶交しても悪口を言わず、忠臣は国を去っても自分の身の潔白を表明しない)」という一節があります。まことにきっぱりとした潔い態度表明です。(p.65)
王莽はもともと偽善的な復古主義者だった…ちなみに「酒は百薬の長」という言葉は、王莽が新経済政策のキャンペーンとして発布した詔にみえる言葉です。(p.107)
班超は西域にとどまること約30年…まさに西域にかけた生涯だったといえます。彼が帰還するとき、後任の…任尚がアドバイスを求めると、班超は「水清ければ大魚なし」と言ったとされます。任尚が厳格かつ性急な性格であるため、こせこせした小さな問題にこだわると、大事なものを失うことになると、やんわりたしなめたのです。…その後、「水清ければ魚棲まず」という表現で伝わってゆきます。(p.113)
「人生 意気に感ず 功名 誰か復た論ぜん」はことに有名であり、その後、成句としてよく用いられます。…「人として生まれたからには、自分と意気投合した者のために命をかけるもの、功名なぞ問題にならない」という意味です。(p.162)