マキャベリの経営語録

再読です。10年以上前に読みました。同じ本でも印象が随分違います。皮相に思えた内容が、むしろ人間的で、真実に迫る内容だと読み取れるようになりました。「事業には、確かにツキが回ってくるときと、ツキがこない時がある。だが、その企業が成功するかどうかは、ツキの風向きが変わったとき、どのように処理するかで決まることを想起すべきである。」その通りです。備忘します。

群衆の頭脳はその側近を見ればわかるページ44
だが真実を伝えない報告は、もらうだけかえって危険な存在です。古来、多くの英雄がついに失敗したのは、必ずと言って良いほど、嘘の報告や計画的な嘘によってであることは注意すべきである。このような阿諛から逃れるには、ただ1つ、真実を知りうることを喜ばしく思うという態度を示す以外良い方法がない。ページ51
無能な人間無能な人物は、いないよりもっと具合が悪い。ものでなくても、仕事に必要な人間は、必ず何から外すべきである。ページ61
経営における管理の秘訣は、責任制の確立にあることをすでに述べたが、その責任制の裏付けは、言うまでもなく、信賞必罰である。この場合の賞と罰の与え方が、やはり、この原則に伴わねばならない。罰は衝撃的であるべく、賞は細く長いほうがよい。一時的に多額の賞を支給することは、いたずらに、他人のそねみを買うだけのことであって、その効果は、与えた賞の額に比べて、意外に低い。なかにはその恩賞はやむなく施したものとさえみなされ、案外、感謝されないままに終わることがあるからである。ページ65
競争相手に対して、平時における最も有力な攻撃の方法は、指導層が信頼して気を許しているグループに不平不満の種をまくことである。その種の芽が入ると、案外もろく、その指導者は敗退する。ページ69
競争において、同盟はつきものである。だが、マキャベリは、強いものと手を握ってはいけない、と説く。強いものと手を握って、たとえ勝利を得たところで、自分の手柄にはならないからだ。ページ89
昔から、洞が峠を決め込んだ人物の終わりは、決してよくない。変転極まりないこんにちの企業間、または企業内の競争において、旗色を鮮明にすることは難しい。だが、いくら難しくても、それは必要である。もしそれができないなら、その時は巖として、中立の旗を掲げるべきである。ページ94
非難されることは他人の手に委ね、感謝されることは自分の手で行わなくてはならない。ページ98
人は英雄を常に期待している。英雄とは、日常の些事を処理する名人ではない。その人の公的職務において、ほかの人の果たし得ない成果を挙げた人である。そして英雄になれば、その過程で行われたことはその結果と結びつけて美化されるからである。ページ102
むしろ多少誤った決定であったとしても、それを断固として実行するところに、新しい知恵が湧き、また成功への糸口が見出されるのである。実行力を持たない経営者は、必ず失敗する。これまで成功した経営者は、ある意味において自信過剰型であった。ページ121
人間は、迫害を受けると思っていたものから恩恵を被ると、より強い義理を感じるものである。ページ131
つまり、民の心を知るには、民なってはならない。君主となってこそ、初めて民の心のわかる。もし君主が大衆の1人として大衆のことを考えたら、結局その中に埋没してしまうだけである。民の心を知るために、乞食に変装して街を歩くというのは、、一見感動的だが、実は何の役にも立たない。だから、民の上に高く身を置き、客観的な情報を入手しなければならない、というのである。ページ138
大衆を敵とする君主は、敵の数が多いから安全ではない。ページ142
このように利益中心で事業計画を作成すると、当然リスクがつきまとうが、それを恐れてはならない。リスクはより有利な決戦場を選ぶための、1つのプロセスと考えなければならない。ページ170
我々が、いくつかの案を前にして、どの手を採用しようかと考えるとき、その案が成功したらどうなるかは一応置いて、まかり間違って失敗した時どのようになるかを考え、その損失が最小限に食い止めるような案を採用せよというのである。このような方法は一見消極的だが、…この方法は…少なくともこちらは負けない作戦である。このようにしておけば相手が誤った作戦をすれば自滅してしまう。ページ179
事業には、確かにツキが回ってくるときと、ツキがこない時がある。だが、その企業が成功するかどうかは、ツキの風向きが変わったとき、どのように処理するかで決まることを想起すべきである。従来のペースで行ける時、その時は特別な努力は要らない。企業はほっておいてもうまくいく時がある。しかし、ペースが変わったときは、こちらもペースを変えなければならない。ページ185