共在感覚

 「共在感覚」を読みました。副題は「アフリカの二つの社会における言語的相互行為から」です。文化人類学の本です。アフリカのコミュニケーションの実態を記述しています。私たち日本人が普通に行っている行為が人類共通のものではないことに気づきました。フィールドワークは過酷だということを理解しました。備忘します。

共在感覚―アフリカの二つの社会における言語的相互行為から

共在感覚―アフリカの二つの社会における言語的相互行為から

人と人とが共にある、そのやり方がいかに多様でありうるか。アフリカのフィールドで人々と生活を共にしながら、私は身にしみてそのことを感じた。ともにある態度、身構え、そうしたことを呼ぶのに、ここで共在感覚という言葉を用いてみたい。私が本書で示そうとして、共在感覚の様々なあり方、そしてその面白さである。「はじめに」より
ボンガンドの発話に対する態度について考えていて、私は「投げる」という言葉に思い当たった。話し手は熱心 い言葉を発するが、それはどこか「勝手」「気まま」といった形容詞が似つかわしい。一方聞きては「明示的には聞かないことにする」という態度を守る。ページ89
このように挨拶はそれまで不確定であった両者の関係を、一定の枠に詰め込む契機となる。この枠の作り方のことを、私は共在感覚という名でよんだのである。ページ106
…日本人に比べ、しゃべる時は発話を重複して喋り、喋らない時は長い沈黙を行う。ページ146
また近年のroboticsロボット工学、対話システム等の研究の進展で、人間に似た振る舞いをする機械に、何とか手が届くかもしれないという状況になってきている。そこでは逆に、人間らしい振る舞いとはなんなのか、という問い返しが生じている。ページ290