人間と機械の間 心はどこにあるのか

「人間と機械の間 心はどこにあるのか」を読みました。大阪大学のロボット学者と東京大学の人工生命学者の共著、対談の本です。「人間とは何か」「生命とは何か」を、二人の科学者で論じています。まさに哲学です。非常に難解です。途中の議論を除き、結論を重視して読みました。人類の未来を覗き見たような気になりました。「生命をコピーできればコントロールできる」ことを理解しました。備忘します。

人間と機械のあいだ 心はどこにあるのか

人間と機械のあいだ 心はどこにあるのか

言い換えれば、意識とは「世界」と「自分」のモデル化である。脳内に作られた仮想世界で「自分」をシュミレーションしているのだ。世界の認識と自分の認識、それが同時に脳内で起こっている。ページ13
現実世界に流れ続ける時間と、それに伴う膨大な情報の流れを脳内モデルとして固定するという機能こそが意識や記憶の役割ではないか。長い記憶がなければ、自分とは何者かを説明しにくい。昨日と今日の自分が連続していると信じられなければ、アイデンティティーは築けない。しかしながら、小学生の時の自分と今の自分の自己意識同じではないし、つながっていないように思われる。ページ17
そもそも人間が技術を生み出した理由は、その大きな脳にある。人間の脳は、その大きさと複雑さゆえに、自らを客観視することができる知能を持つ。人間には「自分を見る自分」を再帰的に認識できるという、他の動物にはない能力がある。ページ23
ロボットが増えれば生活は便利で豊かになる。しかしそれ以上に人間は人間について深く考えるようになる。ぼくはそれがロボット社会の本質であると考えている。人間とは技術を使う動物であり、技術によって進化してきた。その技術が作り出すロボット社会において、人間はその本質に向き合うことになるのである。人間の真の進化とは、人間そのものの本質的理解に到達することなのかもしれない。ページ39
このこと逆説的に捉えれば、「心」とは実体のないものであり、むしろ他人がその人に「心」を感じるかどうかだけが問題となる。そして、互いに「心」を感じることで、自分にも同様の「心」があると信じることが、「自分の心」というものの正体かもしれないと思うのである。ページ76
…僕はどこかでどうしても生命となるシステムは中身も大事だという気がしている。…インターネットから生命が生まれる、とか、ロボットが生命になるかもしれない。それがALIFEの取り組みだと言えるわけで、いつ生命なったがとみなせるか。それを「れこれの代謝反応があるから」と内側のメカニズムから判断するか「、俺が見て生命に見えるから」と外側の判断に行するか。多分それは内側ができれば外側が、外側ができれば内側がともなっているだろう、という確信を持って研究をするしかないのではないかと思います。ページ161
実際人間の脳を上げ広げてみても、そこに何か書かれているわけではない。数千億の神経細胞がやりとりする電気信号と化学信号が複雑なパターンを作り出しているだけだ。そこに自律的に生まれ出るのが、意識であり、人の人らしさとでも言うべきものだ。つまり、ビッグデータは使う人が外にいる。過剰なデータの流れはデータそのものが組織化する。ページ183
AIは人工生命化する技術の中の1つ、サイドヘッドに過ぎない。AIが問い合わせに答えるタイプのオラクルから自律的にタスクを判断して実行するソヴェリンというタイプとなって初めて人類の脅威となるだろう。自律的にというのがキーワードでそれを持つソヴェリンというタイトルはまさに人工生命のことである。ページ203
インターネットは意識を持つと思っているが、それはそうした時間性が濃くなったり薄まったりできるからかもしれない。時間を消去することが記憶であり、その記憶の維持が意識なのであれば、その時、機械性を帯るのかもしれない。ニューラルネットワークのようにパターン認識と記憶が得意なシステムにたくさんの映像見せて、そこから時間を取り去る仕方の1つがディープラーニングである。ページ246