死にざまこそ人生

「死にざまこそ人生」を読みました。いつか対峙しなければと思い、この本を購入してありました。哲学の三大テーマは、「生死」「善悪」「宇宙」とか。齢を重ねるということは、ついにこの問題「生死」に突き当たります。「死」を考えることが残された貴重な「生」を考えることです。死ぬ時にどんな感想になるのか? 残された近しい人が何と思ってくれるのか? これが人生の総決算になると予感しています。備忘します。

自分なりに頑張り、「もう頑張れない」「少し弱音を吐きたい」「辛いことをわかってほしい」という心境にいる時に、安易な励ましは、よくないというのは、重要なポイントである。ページ60
患者が望んでいるのは「死ぬのが怖いという気持ちをわかってほしい」、ということなのである・「怖さを取ってほしい」というのではない。おそらく患者は医師が恐怖を取ることなどできるはずがないと思っているのであろう。ページ65
ホスピスに入院してくる人で、死ぬことは覚悟できているのですが、苦しんでしまうのは避けたいですという人は多い。ページ69
アカデミー賞とった映画「おくりびと」の中に日本人の死の捉え方、あの世観が見事に示された場面があった。銭湯の常連客だった火葬場の職員が、火葬場の前で会話する場があった。職員は「死というのは門だと思う。みんなこの門を通って向こう行く、私は門番として、私もこの本から向こうに行く。そしたら私が送った人と向こうで会えるだろう。」これは日本人の代表的な死生観だと思う。ページ117
テノール歌手、秋川雅史の歌唱によって、「千の風になって」のブームは決して一過性で終わることなく、今の多くの日本人の心の奥底奥深くに巨大な影響を及ぼしてるらしい。「千の風になって」がこれほどまでに幅広く圧倒的な支持を得るに至ったにはやはり、その詩に込まれた独特の下のイメージをおいては考えられない。死んだ後の自分はお墓の中などにはいない。最初にそう明言した上で死者は自分の死後の行方と役割について言うのだ。ページ120
痛みは主観的な体験である。痛みを客観的に測定することはできない。患者さんが「痛み半分ぐらいなりました」といっても、元の痛みなどの程度であったかを客観的に知る手段はないのである。悲観的な体験である痛みには様々なことが影響与える。痛みに影響与える要素については多くの研究がある。①気分 ②不安 ③睡眠 ④孤独感寂しさ。ページ150
このように人生の振り返りの中で、多くは人が自分が人にしてあげた事よりも、人にしてもらったことの方が多かったことに気づく。これまでの自己中心的な、また感謝することが少なかった生き方を反省し、人に感謝することの大切さ主なものである。ページ164
毎日、強い痛みがあると、感情は痛みと戦うだけで日が暮れてしまう。本を読む気にもなれないし、テレビを見る気にもなれない。家族と落ち着ついて話をすることもできない。患者のQOLは著しく低下する。昔のことに思いをはせることもできないし、将来のことも考えられない。痛みは患者を現在に閉じ込めてしまうのである。ページ168
予期悲嘆に関して、「悲しみを表現しておけば表現していくほど、死別の悲しみからの立ち直りが早い」ということを一番言いたい。ページ171
問題は「腫瘍が小さくなった」ことだけ言って、延命効果はあっても、「数ヶ月です」とは言ってないことです。数ヶ月しか命が伸びないのであれば、別の言い方もあるはずで、それを言わないと選択を誤まりますよね。ページ210