天皇と日本国憲法

天皇日本国憲法」を読みました。 なかにし礼こそ本当のリベラリストであると思います。寺島実郎との対談で、その教養と見識に驚き、彼の本を購入しました。曹操アウトサイダーと見切ったのはさすがです。音楽はともかく、歌舞伎や絵画に造詣が深いのに驚きました。日本国憲法については、北朝鮮情勢を考えると再軍備の必要があるのではないかと思っているので、9条にこだわりすぎると国民が不幸になるのではないかと危惧します。備忘します。

民主党とはまさに「動物農場」を地でいってるよようだと私は思った。ページ41
阿部首相からお土産として日本語を喋る花ちゃん人形を渡されたとき、ニーナさんは頬ずりして泣いたという。阿部首相のこの律儀さが日露友好をすすめる人間の力として発揮されることを願って止まない。ページ48
原発をつくり稼動させるということは、国家壊滅計画にほかならない。そのことを黙認する人々は皆共犯者である。この力作映画(遺言ー原発さえなければ)を見て、私は強くそんな思いに駆られた。ページ96
食堂に直径4センチ真珠付きの腫瘍を持つ身として焦るのである。血眼になったあげく、ついに行き当ったのが陽子線治療法であった。ページ115
孫文は熊楠に会うためにわざわざ和歌山までやってくる。滞在は2日という短いものであったが、記念写真を撮り、駅前での別れに際して孫文は台湾時代からかぶり続けている彼のシンボルとも言うべき白い帽子を脱いで熊楠の頭にかぶらせた。この握手が孫文との最後の別れとなった。ページ130
マークトェインがこう答えている。たった1つだけ人間に何か可能性が残されているとすれば、それは「閃き」である。この天の意思にも似た「機知のひらめき」の中に創造の可能性があるのではないか。ページ135
祭典とは、あらぶる神たちを鎮めるためのものである。昭和39年の東京オリンピックは日本の戦没者の荒ぶる魂を鎮めるためだけのものではなく、あの戦争で亡くなったすべての人々の魂を鎮めるためのものであったはずだ。ページ201
ヴァレリーは「海辺の墓地」を描きつつ深い瞑想に浸っていた。それは死への誘惑にも似ていた。その時風が立った。その瞬間、ヴァレリーは理性に目覚め、生きようと試みなければならない、と意識したのだった。ページ206
上梓されたのが「河原者のススメ」であった。私はこの本を読んで、脳震盪にでもなったような衝撃を受けた。ページ254