街道をいく 北のまほろば

NHKスペシャル 街道をいく 第1シリーズ第3回 北のまほろば」をオンデマンドで視聴しました。江戸時代、換金作物として米に頼ったことが、豊かな津軽、南部地方を貧しくしたとの意見です。米は冷害に弱く、何年かに一度飢饉に見舞われることになってしまいました。縄文時代は、海山の豊かな恵みで、沢山の集落があり、土偶は芸術の域に達していました。また安東家は十三湖の近くの港を中心にアジア圏の中心的な場所でした。南部藩から分離した、津軽藩は弘前城をはじめとする文化を大事に保存しているが、まほろばにたとえられほどの豊かさを生かすことはできませんでした。
函館にいた時に弘前を訪れました。映像は冬の景色でしたが、懐かしく美しい街並み、お城でした。竜飛崎には行っておくべきでした。誠に残念。番組紹介文を転載します。

かつて太宰治は故郷の津軽を「本州の袋小路」と形容して貧しさを嘆きましたが、作家・司馬遼太郎は「北のまほろば」と、豊かさをたたえました。また、津軽藩のコメ一辺倒政策の悲劇を憂い、「古代はよかった。中世も悪くなかった」と振り返りました。第3回は、司馬が旅した足跡をたどり、弘前市三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)を訪れ、古代から続く青森の歴史を通して、社会のあるべき姿の原型を青森の四季に重ねます。