キレイゴト抜きの農業論

「キレイゴト抜きの農業論」を読みました。帝人に務めてからの脱サラの農業従事者です。有機農業を志すも、有機だけではお客様が満足できないことをよく知っています。消費者への直接販売と飲食店への注文販売で安定した経営を実現しています。小規模で美味しい野菜を作って飄々と経営する実例です。そうは言っても、東日本大震災の時の話を読むと大変さが伝わってきました。茨城の農場なので風評被害でキャンセルの山だったそうです。若者の安易な就農には否定的です。備忘します。

キレイゴトぬきの農業論 (新潮新書)

キレイゴトぬきの農業論 (新潮新書)

野菜の味を決める大きな要素は3つあります。栽培時期(旬)、品種、そして鮮度です。僕はこれを野菜のおいしさの三要素と呼んでいます。ページ20
栽培者に出来るのは、その固体が持っている特徴を発揮できるようにコントロールすることだけです。栽培で品種を超えることはできません。おいしい野菜を育てたいのなら、栽培が有機であるか否かよりも、品種の選択の方がはるかに重要です。ページ44
有機農業は、経営的にはハードルが高いビジネスモデルだと言わざるを得ません。ページ78
ところが、脳業界はマーケットレビューより、仲間内での評価が先行する社会=ピアレビュー社会になっている、と感じることが多いです。いいものかどうかはお客さんの決めることだ、と思います。ページ83
日本人はなんでも道にしてしまう。武士道や茶道、花道にはじまり、果ては野球道等々。1つのことをとことん追求していくのは質の向上にはいいことだし、現場をカイゼン主義で進化を続けるは日本人の良さだ。しかし、このやり方では終わりがない。最後は改善のための改善に陥り、どうでもいいような細かいところほじくるようになってしまう。対して、欧米のものづくりは先にゴールを決めて始めるのですぐに完成する。その後はそれを売ることに経営資源を集中できるのでブランディングもうまいし、ものが広く評価される。ページ85
既存の農業の方から、作ることは出来るけど、どうやって売ったらいいのかわからないと言われますが、売り方かわからないか人だからこそ直販に向いてるのです。逆説的ですが、事実です。答えはお客さんが持っているのです。ページ88
具体的にやっていることは極めてシンプルです。適した時期に、適した品種を健康に育てる、全力投球。栽培から販売までの全てが、このコンセプトに沿って組み立てられています。ページ97
職人の、特殊な世界だと思われている農業に合理性を持ち込み、科学的・論理的なアプローチで栽培や経営を組み立てるのは、なかなか痛快な作業です。ページ142
経営は結果が全てです。科学的には無視していい程度の懸念で敬遠してしまったことは、理由はどうあれ、経営者としては負けなのです。ですから、一農業経営者としてこれからすべきことは、多少の懸念があっても選んでもらえるようなおいしい野菜を提供しつづけることです。ページ165
ものづくりの面で言えば、合理性・効率性を考えてプロセスを工夫する楽しみがそこにあります。また、販売面では、どのようにお客さんを喜ばせたら対価を得るか、という面白さがあります。これらは、仕事して採算を取る、という制約があるかららこそのおもしろみです。ページ177
農業活性化の鍵は生産手段の流動化、すなわち、人や土地がもっと自由にのことだと思っています。皆ができることを目一杯やっているのに生産性が上がらないのではなく、人と土地が適正に配分されていないせいで、できて当然のことができていない、と捉えているからです。逆にいえば農業の生産性は、もっと上がる余地があります。ページ181