共同幻想論

共同幻想論」をKindleで読みました。「国家は人間の共同幻想である」何と魅力的なフレーズでしょう! 「遠野物語」「古事記」を題材にしながら社会や制度、国家までもが人々の思い込みで成立していると論じています。マルクス唯物史観でもなくフロイトリピドー説でもなくオリジナルな考えだと思いました。ピドーを軸に全て論理展開するのにはやや無理があるかもしれませんが…。私、大学生の頃と10年ほど前と二回挑戦しましたが、途中で投げ出してしまいました。今回、読了できたのは数年前から「遠野物語」「古事記」をよく読んでいたからです。基礎的な知識があれば、文体も内容も難しいものではありませんでした。 結論らしきものもありませんが、「遠野物語」「古事記」それぞれの解釈が民俗学者や古代史学者とは随分違っていてとても面白く読めました。邪馬台国論争勃発前の著作でありますが、現在の学者の意見に近いのではないかと思います。魏志倭人伝だけでなく隋書にも言及があり知識の深さに驚きました。備忘します。

改訂新版 共同幻想論 (角川ソフィア文庫)

改訂新版 共同幻想論 (角川ソフィア文庫)

遠野物語 』の山人譚は 、猟師が繰返している日常の世界からやってくる 〈正常 〉な共同の幻想である 。20%
村落共同体を支配する禁制の幻想であった しかし柳田国男はそうかんがえなかった。かれは 、むしろタイラーやフレーザーがはっきりと分類した高地崇拝や呪術の原始的な心性をこれに結びつけたのである 。23%
そして人間は文化の時代的情況のなかで、いいかえれば歴史的現存性を前提として、自己幻想と共同幻想とに参加してゆくのである 。40%
〈死〉と〈生誕〉を〈生む〉行為がじゃまされるかじゃまされないかのちがいだけで同一視している共同幻想が 、初期の農耕社会に固有なものだと推定することができる 。53%
〈時間〉の観念は自然では、穀物が育ち、実り、枯死し、種を播かれて芽生える四季としてかんがえられた。人間では子を産む女性に根源がもとめられ、穀母神的な観念が育ったのである 。72%
原始的なあるいは未開的な共同の幻想の在りかたからはじまって、〈国家〉の起源の形態となった共同の幻想にまでたどりついたところで考察はおわっている。つまり歴史的な時間になおしていえば、やっと数千年の以前までやってきたわけである。98%