死ぬほど読書

「死ぬほど読書」を読みました。ビジネス界きっての読書家、伊藤忠商事元社長、丹羽宇一郎氏の著作です。利を追わずとも、真っ当に生きて成果をあげる、素晴らし生き方だと思います。人は嘘をつく、優秀な人ほど嘘をつきがちだとの指摘は身につまされました。周りにそう言う人がたくさんいました。人の見方の賛同します。さらに読書については、定年後、読書を重ねるごとに、読めば読むほど自分の無知を感じます。エピソードを含め、どの部分を読んでも卓見です。とても良い本を読みました。備忘します。

死ぬほど読書 (幻冬舎新書)

死ぬほど読書 (幻冬舎新書)

人間にとって一番大事なのは、「自分は何も知らない」と自覚することだと私は思います。無知の知を知る。読書はそのことを、身を以て教えてくれます。本を読めば知識が増え、この世界のこと幾分か知ったような気になりますが、同時にまだまだ知らないこともたくさんあると、それとなく気づかせてくれます。ページ27
私が考える教養の条件は、自分が知らないということを知っていることと、相手の立場に立って物事が考えられることの2つです。ページ41
では、教養磨くものは何か?それは仕事と読書と人だと思います。この3つは相互につながっていて、どれが1つが独立してあるというものではない。読書もせず仕事ばかりやっていてもほんとにいい仕事はできないだろうし、人と付き合わず、人知らずして仕事がうまくできるわけはありません。ページ42
私が本を買う決め手とするのは、目次です。書店で本を手にしたときは、まず目次をじっくり読みます。目次を見れば、どういう内容なのか、どういう構成で展開しようとしているのかがほぼわかる。作者がどういう意図を持って、何を読者に伝えたいのか、作者の論理的思考が大体見える。そうやって太枠を押さえておくと、理解も早く読むスピードも上がります。ページ57
賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶといいますが、私は怪しいと思っています。歴史が繰り返されている様を見ると、歴史から学ぶことは賢者であっても難しいのではないでしょうか。私は「賢者は自らを律し、愚者は恣にする」と言い換えたい。つまり、本当の賢者とは、自分の欲望をコントロールできる自制心を持っている人のことだと思います。ページ99
伊藤忠商事で社長になったとき、黒塗りのハイヤーが用意されましたが、私はそれを使わず、電車通勤をしました。大抵の人は満員電車に乗って、しんどい思いをして会社に通ってるわけですから、それを横目で見ながら自分だけそんなことをすれば、社員感覚がずれてしまうと思ったのです。ページ129
嘘や隠し事がきっかけとなって問題に発展するケースはいくらでもあると思います。私は優秀な人間ほど、隠し事をすると思っています。自分も周りも優秀と思っているから、何があっても、自分の評価落とさないために必死で隠す。一度嘘をついたり、変に隠したりすると、それがバレないように、また幾重にも嘘を重ねていくことになります。ページ138
自伝や回顧録というものは、人生の失敗者や敗残者はまず書きません。成功者が語る話ですから、いくら自制しようとしてもどこか自慢話になってしまうことが目に見えている。ですから教訓にはあまりならない気がします。ページ140
私は人からよく相談を受けます。傍からは順風に見える人でも、意外な悩みや問題を抱えてることが多い。私はよくこう答えます。「失敗しても死ぬわけじゃない。生きていればチャンスはいくらでもある。そもそも生きていることそのものが問題を生むんだから、問題がいやなら死ぬしかない」と。そしてこうして続けます。「問題は人との関係であり、ひとりで解決するものでもない。他人への想像力と共感が解決に導いてくれる。問題がある限り、またそれを解決する答えも必ずどこかにある。問題があるというのは、生きてる証だ。問題があることを喜べ。」ページ143
読書は心を広く豊かにしてくれます。とはいえ、本だけ読んでいればいいというものでありません。やはり仕事をやって人間というものと向き合っていなくては、本当に人間を知ったり、理解することにはならないと思います。ページ152
壁にぶつかったても投げ出したりせず、ともかくベスト尽くす。そうすれば必ず壁に穴があきます。壁を超えれば、その経験があとで生きてきます。壁にぶつかった時に学べることは、少なくありません。壁にぶつかったら、絶好の機会だと捉えるべきです。ページ165