パシャッ!

「パシャッ!」を読みました。報道カメラマン、松本敏之氏の著書です。松本氏は私の高校の同級生です、先月のクラス会で本人から、いただきました。彼は、高校を出たあとフランスに留学、フリーカメラマンになりました。1983年、アキノ大統領暗殺の写真を撮って有名になったそうです。後に朝日新聞に入社、報道カメラマンとして定年まで在籍。現在は共同通信で現役を続けています。
本書の出版は1999年ですので、松本氏の約20年間の活動記録になっています。タイ民主化要求デモや湾岸戦争で死にかけたこと、韓国でも大けがをしています。阪神大震災の惨状、奥尻島津波オウム事件、ペルー日本大使館占拠事件など、記憶のどこかに残っている大騒動を思い出しました。松本氏曰く「クラスで唯一の高卒だ!」と威張っていました(笑)。備忘します。

パシャッ!―報道カメラマン日記

パシャッ!―報道カメラマン日記

…軍の指揮官に「なぜ不当に外国人を拘束するんだ」と現場から離脱したい一心で抗議した。とにかくフィルムを持って帰らなければ、苦労も水の泡だ。…指揮官に、パイナップルと残飯でドロドロになったシャツを見せ、「拘束されていたから一枚の写真も撮れなかったぞ。今から逮捕者を撮影させろ」と言うと、指揮官は疑わしい目から、一転して、兵士に「こいつをここからつまみ出せ!」と命令した。僕の作戦がちだ。撮影済のフィルムはパンツとソックス中だった。勝新太郎パンツの中にコカインを入れる。カメラマンはフィルムを入れる。笑いたくなるのをこらえて支局に急いだ。隠し撮りの写真は、夕刊一面に大きく載った。ページ52
…90年、杉並道場とかいう建物での麻原の記者会見の写真だった。麻原の右には当時無名だった上祐の姿もある。井上も写っている。ばかでかい玉座のような座布団の上に麻原の姿。オウム服の色は青。…井上の人を睨みつけるような凶悪なの顔が気になって、井上も一応撮影しといたことも思い出した。井上の写真も役に立った。 調べてみると…アップの顔写真で朝日新聞写真部にあるのは、僕の写真だけだった。僕はただデスクに命じられて、記者会見にいただけだったのだが。ページ90
アラファト議長の部屋に入ると議長が手を差し出した。大きな柔らかい、温かい手だった。早速インタビューを記者がする間に撮影。…会見と写真撮影が終わると、僕と記者を手招きする。いっしょに記念写真を撮ろうと言う。仕事の上でいろんな有名人を写す機会が多いが、記念写真を写そうと言われたのは初めてだ。僕の肩にまわされたアラファト議長の手を感じながら、カメラに収まった。ページ161
運、根、勘の3つの要素がカメラマンに必要だけれども、現代の報道カメラマンには危機管理能力も必要になってきた。1985年のことだった。当時の韓国は独裁色の強い全斗煥政権で毎日のように全国全土にデモが吹き荒れていた。…その夜、機動隊の眩しいばかりのサーチライトに照らされた学生デモ隊にに機動隊が催涙弾をぶち込み、私服警官隊はこん棒片手にデモ隊を襲った。私服警官数人がかりで殴られ、血まみれになった女子学生の姿をデモ隊の中に見た僕は、女子学生に近づき目測、ノーファインダーでストロボ一発。その数秒後には、僕自身が私服警官1ダースあまりに袋叩きにあっていた。カメラ、ストロボは壊され、体中を殴られたり蹴られたボロ雑巾のようになって車ですソウルに運ばれた。ページ227